コイ、です

『コール・コール』の続きかも。

 新妻から高木へ初めて電話をしてからと言うもの、その後何度か電話越しのやりとりをした。とは言っても頻繁にやりとりをするわけでもなく、ひと月に1度コールを送るか送らないか程度だった。筆が早い新妻ではあったが、だからと言って時間に余裕があるわけではない。忘れられがちだが新妻も学生なので、やはりそれなりの学生生活と言うものがある。
 新妻は、昼間学校に行っている高木に遠慮して、昼には掛けないようにしていた。逆に高木は、夜間にコアタイムに入るであろう新妻の仕事場に遠慮して、夜にはあまり掛けないようにしていた。しかし新妻が掛けてくるのは圧倒的に夜だったので、結局夜に掛けるようになった。そうしてゆるい交流を続けるうちに、金未来杯を経て亜城木夢叶の連載が決まった。

「ふーっ……次回だな、次回の会議だ。くっそー悔しいぜ……」
「はい、あっ、この間高木先生から電話してくれたじゃないですか? 僕すごく嬉しかったです。はい、はい、僕も楽しみです」
  真城に祝辞兼激励の電話をかけたはずの福田は、今は新妻にそれを独占されていた。祝いの言葉を贈りたいと言う新妻に携帯を貸していたが、その後電話の相手は真城から高木へと移ったらしい。真城と話している時は友好心とライバル意識が拮抗していたようだったが、高木に代わった途端そこに親愛が加わったようである。明らかに表情が違う。漫画のように表現するならば、新妻の周囲にだけ花が咲いているようであった。要するに浮かれている。携帯を貸すことは構わないが、それにしても長い。福田は内心いつまで電話しているのかと怪訝に思ったが、新妻があまりに浮かれているので、邪魔をするのも可哀相だと思い直し目の前のトーンを貼ることにした。
  中井は蒼樹に電話をするかどうかずっと考えていたようで、先ほどまでうだうだと悩んでいたが、意を決して電話を掛けることにしたらしい。新妻を気遣ってか話の内容を聞かれたくないためか、今は仕事部屋を出て廊下で電話をしているようだ。
「携帯、ありがとうございました」
  やがて新妻が満足そうな声で福田に携帯を返しに来た。原稿から目線を上げると、新妻の顔も満足そうだった。微かに頬も上気している。福田が無言で携帯を受け取ると、新妻は浮かれた足取りで自分の机へ戻って行った。
「新妻くんは本当に高木くんがお気に入りだな」
「高木先生と話してると楽しいです」
  へー、そう。と福田が気のない返事をしていると、廊下から中井が戻ってきた。蒼樹の反応が良かったのか悪かったのか、よくわからない表情をしている。そのまま椅子に座ると描きかけの背景にも着手せず、ぼーっと宙を見たまま動かなくなってしまった。新妻は原稿を描いているようだったが、やはり浮かれているのは傍目にもよくわかった。目の前には女のことで呆けている中井、少し離れた場所には同年代のライバルのことで浮かれている新妻。妙な光景である。
 福田は動かなくなってしまった中井を何度か突付いて、背景を描くように促した。中井と同じレベルの背景を同じ時間で描けと言われても嫌だったし、そもそも無理なので、中井にはさっさと背景を描いてもらいたかった。何度か突付かれて、やっと中井が反応を返した。福田にすまんと詫びを入れると、深く溜め息を吐く。先ほどまで周囲に花が咲いていた新妻とは対照的に、今の中井の周囲には暗雲が立ち込めているようだった。
「中井さんは蒼樹嬢に恋愛感情持ってるから、些細なことでも落ち込むんすよ」
「な、何言って……僕は別にそんな……」
「またー。バレバレじゃないすか、電話する前とか超緊張してっし」
「そ、それは女性に電話することに慣れてなくて」
  中井はこの話になると、とてもからかい甲斐があったので、福田は追い詰めるように弄り倒してみた。やれ「気が付くといつも蒼樹嬢のこと考えてる」だの、「蒼樹嬢が一緒の時の中井さんは輝きが違う」だの、好き放題に弄り倒す。しかし毎回弄られても、律儀に反応を返すのが中井のいいところでもある。福田はニヤニヤしながら「俺は中井さんの恋を応援しますよ」とその気もないのに無責任に言うと、話を切り上げて目の前の原稿に集中しようとした。集中しようとしたが、思わぬ障害に阻まれてしまった。新妻が突如「福田先生ー!!」と叫んだためである。
「さっきの話、本当ですか!」
「な、何が」
「僕も電話する前にすごく緊張します!」
 誰に、と聞いていいものか迷った。9割方あの眼鏡の少年が思い浮かぶからだ。いや、新妻にもプライベートはある。同じ高校の女子生徒の可能性もある。福田は無理矢理にでもそう考えた。余計なことを考えずに、これは女子高生が相手の話だ、これは女子高生の話だ、これは女子高生の話だ、と思い込めるだけ思い込んで、新妻の話に乗ってやることにした。
「電話で話してるだけなのに顔が赤くなったり、会えない時でも考えたり?」
「し、します!」
「相手が言ったことを後で何度も思い出してニヤけたり」
「はい、幸せな気分になります」
「夢に出てきたり」
「! 出てきました!!」
 これは決定か。福田は感慨深く、新妻くんでも恋はするんだなぁと考えた。
「それは恋だな、間違いなく」
「コイ、ですか」
 新妻は考え込むように下を向いてじっとしていた。自分の感情に名前を付けられ、困惑しているのか感動しているのか、ただただじっとしている。福田もその様子をニマニマと見ていたが、やがて新妻が顔を上げた。
「僕は高木先生にコイしてるですね!」
「何ぃーッ!?」
 予想だけはしていたものの、当たって欲しくないから考えないようにしていたのに、遂に新妻の口から直接出てしまった。同じ高校の可愛い女子高生だろう、と無理矢理思い込んでいた福田の逃げ道が閉ざされてしまった。
「待て! 全部高木くんの話なのか!?」
「そうです。電話で話してるとドキドキするです」
「……ごめん、間違えた。コイって魚の方」
「今の話に鯉関係あるです!?」
 話を聞いていた中井は、福田が新妻に突っ込まれるなんて余程テンパっているんだな、としか思えなかった。それほど福田はうろたえていたし、その気持ちもわからないでもなかった。
 ここ最近の新妻の高木贔屓は増すばかりだった。たまに電話をする仲であるのは知っていたし、中井も福田もそれは友達付き合いだと思っていたのだ。ライバルであり友達でもあるなんて、いい関係じゃないかと。しかし普段はそうでもないが、電話をした次の日は酷く浮かれるようになった。仕事が手に付かなくなる等の障害はなく、そこはさすがの新妻エイジではあったが、明らかに纏う空気が違う。それは言ってしまえば桃色だった。中井は「仲が良いんだなぁ」程度に考えていたが、無駄にカンの良い福田などは妙な空気を読み取っていたようだ。そしてそれが今新妻の口からはっきり出てしまった。
「お、落ち着け、高木くんは男だ」
「そうです。声がハスキーで、僕大好きです。ずっと聞いていたいです。してくれる話も面白いですし、ずっと話していたいです」
 新妻が惚気に入りかけた。福田は慌てて停止を掛ける。
「た、高木くんに彼女とかいるかも知れないだろ」
「あっ、考えたことありませんでした。でも僕が高木先生を好きなのは変わらないので、構わないです」
「なんつー無欲さ……!」
 福田はぐらりと眩暈を感じた。欲望に忠実でギラギラしがちなのが高校生なのに、こんなに無欲な奴がいるなんて。そこに少し感動しかけたが、福田はその感動を振り払うように頭を振った。しかし再び思い直す。
(いや待て、恋愛は自由じゃないか。何で俺はこんな必死に矯正させようとしてるんだ)
 自分が口を出すことが正しいことなのか、福田にはわからなくなってしまった。相手が男だろうが、人の恋愛に口を出すべきではないのではないか。現に福田より人生経験の多いはずの中井は、さっきから一言も口を出していない。(恋愛経験の有無は知らないが)
 幸せそうな新妻を見ていると、福田は自分の口出しが野暮なものに思えてきた。脱力か、深く溜め息を吐いて新妻の肩をぽんと叩く。
「……俺は男同士のことはよく知らないけど、新妻くんが幸せなら良いと思うよ……」
「ありがとうございます!」
 中井が何か言いたげな顔で福田を見ていた。顔には「投げたな」と書いてあった。それを見ぬフリをして、机に戻り今度こそ原稿に向かう。しかし新妻の惚気は続いていた。椅子にこじんまりと逆に座り、ゆらゆらと揺れながら独り言のように呟いている。
「ずっと電話で満足だったですケド、たまにすごくお会いしたくなるです」
 福田はあまり深く考えないようにしながら、無言でトーンを貼り続けた。中井は背景にペンを入れながら話だけは聞いていた。紙の上にだんだんとリアルな廃墟が書き込まれていく。
「今まで2回くらいしか会ったことないです。でも高木先生のこと考えるとドキドキするです。これはコイです、間違いないです!」 福田は新妻の話に乗ったことに今更ながら後悔した。
「でもお会い出来る機会なんてそうないですから、電話だけでも嬉しいですケド」
「……新年会で会えるんじゃないですか?」
 反応したのは中井だった。福田は弾かれたように中井を見ると「何反応してんだよ」と態度で滲ませた。何故福田に睨まれるのかわからない中井は、そのまま淡々と新妻との会話に興じていく。
「今回の会議に通った連載は年明けから開始だって言ってたから、新年会には呼ばれてると思いますよ。その時に2人一緒に来るんじゃないですかね」
「あっ、去年行ったです。料理が美味しかったのと、挨拶が大変だったのしか覚えてないですケド……」
 でも確かに会えるですね、と呟いて、新妻は嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑った。それは上京してから誰にも見せた事のない、紛れもなく恋する男子のそれだった。新妻のその笑顔を見て、福田はもう色々と諦めようと思った。
「……新年会は1月だろ。あと3ヶ月くらいで会えるじゃん。良かったな」
「はい! えーと……そうすると、半年ちょっとぶりですね」
 指折り数えて計算するが、肝心の新年会の日時がわからなかった。新妻は携帯を取り出すと雄二郎に電話を入れた。新年会の日時と、亜城木の招待の有無を確かめるためだ。新年会の日時はまだ未定とのことだったが、案の定亜城木の招待は決まっていた。
 高木に電話をしようとするまでは、滅多に自分から携帯を操作したことがなかった新妻だったが、今やすっかり手馴れた操作で電話をしていた。つくづく恋は男を変える。例え相手が男だろうが女だろうが宇宙人だろうが、動物だろうが植物だろうが無機物だろうが、恋は恋である。
 何かあるたびに新妻の携帯を世話していた福田が、感慨深く新妻を見ていた。電話の向こうでは、新妻からの電話と言う青天の霹靂としか思えない出来事に雄二郎が肝を冷やしたと言う。

 年が明けて意気揚々と新年会に出掛けて行く新妻を見送った中井と福田が、後日どうだったのかと本人に問うと「近くにいられるだけで満足してしまったので、あまり会話はしていない」と言う返答が帰って来た。
 2人は新妻のその青さと清さに、色んな意味で眩暈がしたのだった。



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エイジピュア説を推します。高木の声はVOMICを参考に。



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