コール・コール

「また顔合わすかも知んないし、高木くんの携帯も教えてよ」
「あ、はい。良いですよ」
  福田さんと顔を合わせるのは2回目だが、サイコーと仲が良いようだから俺もまた会う機会があるかも知れない。と言う訳で、ネームの見せ合いをした後は、何となく交流会のようになった。福田さんと、あと中井さんとも番号を交換して、蒼樹さんは「必要ありません」と本人が言ったので交換しなかった。もっとも、彼女は交換自体を拒否していたが。
 まぁ女性だし……と引き下がったが、彼女はこんなに人に対してツンケンしていてこの先大丈夫なのだろうか、と思った。思っただけ。プライドの高い年上に意見をするほど、俺も身の程知らずではない。
「僕も高木先生の番号知りたいです!」
  さっきまでネームを楽しそうに読んではゴロゴロ転がっていたエイジが、突然声を上げた。本当に突然だったので驚いてエイジを見ると、気のせいか目がちょっとキラキラしている……。
「新妻くん、携帯いつも行方不明にさせてるじゃん」
「今はちゃんとあります。持ってきます!」
  そう言うとすぐに部屋を出て行ってしまった。かと思うとドタドタと騒がしくまた戻ってくる。手にはエイジのものと思われる携帯を手に持っていた。
「持ってきたです! 高木先生、番号」
「は、はい。じゃあえーと、赤外線を……」
「赤外線ってなんです?」
「え?」
  思わずぽかんとしてしまったが、エイジの方が俺以上にぽかんとしていた。赤外線、知らないのか……。確かにあまり携帯を活用するようには見えないが。
「じゃ、じゃあ僕から掛けますんで、番号言ってもらえますか?」
「番号覚えてません。どこかで見れます?」
「あーもー! 新妻くん、携帯貸せ!」
  あまりに現代人らしくない発言の数々に、福田さんが切れた。エイジの携帯をひったくるように奪うと、軽く何度か操作して俺と赤外線通信を済ませてしまう。この間、10秒。そのあまりの手際の良さに、エイジも俺もあっけに取られてしまった。型が同じでなければ多少は操作に手間取るものなのに。と言うことは何度かエイジの携帯を、持ち主に代わって操作しているのだろうか。
「おー、さすが福田さんです! もう掛けられます?」
「掛けられるよ」
  エイジの喜びようとは対照的に、やれやれと携帯を本人に返した福田さんを見るに、俺の考えもあたらずといえども遠からずなのだろう。その後、携帯の情報はどこで見られるか、赤外線はどう使うかなどの説明を、持ち主ではない福田さんが詳しく説明していた。何だか変な光景だ。
「面倒です。電話は電話できればいいです」
「俺より年下なのに何つーシニアな考え方すんだ」
「とにかくこれで、高木先生に電話できるですね!」
  エイジは終始はしゃいでいたが、とりあえず今回はこれで解散となった。マンションを出て、何気なく登録したばかりの番号を眺める。新妻エイジと言う、紙で見慣れた名前が自分の携帯に存在している事が不思議に思えた。
 そう言えばサイコーはエイジと番号を交換したのだろうか。帰り道に聞いてみると、アシスタントに行ったときに交換したと言う。そのときも、エイジが携帯片手にもたもたしていたのを福田さんが見かねて、エイジの携帯を奪ってさっさと登録したらしい。すぐに想像できて笑ってしまった。

 金未来杯のための原稿を描き終えると、後は掲載と結果を待つだけになる。連載用ネームを練り直す作業もあるので、決してすることがないわけではない。それでも、今まで2週に1本服部さんに原稿を提出していたことを思えば、十分な休息時間だ。
 今日は仕事場には行かず、自宅で『疑探偵TRAP』の連載用ネームを見直していた。なんとなく今日は1人でやる方が集中出来そうな気がしたので、サイコーにもそう言った。サイコーは仕事場で絵を描いているか、自宅で寝ているかのどちらかだろう。俺も大概だが、サイコーはもっと寝ずにやっていたので、寝られるうちに寝ていて欲しいものだ。
 服部さんとの打合せで直された箇所をチェックしながら、別紙にコマを割ったものを書き込んでいく。言われた箇所は確かに直す余地があり、自分の表現の甘さを改めて自覚した。それをページの数だけ繰り返し、見直す。違和感を感じた場所にまたチェックを入れ、別紙に書き直していく。また見直す。大方直したが、どこかしっくり来ない。何度も見直しても、その違和感が何であるのかがわからなかった。少し時間を置いてから見直した方が良いのかも知れない。
 学校から帰ってすぐに始めたネームだったが、時計を見ると10時過ぎになっていた。あれ、俺飯食ったっけ……? 腹が減っているかと言えば減っているような、そうでもないような、でも飯を食っていないことを自覚すると、急に腹が減ってきた。適当に冷蔵庫の中を物色するか、それともコンビニにでも行こうか、と考えていると、突然大きな音楽が鳴り響いた。机の上に置いてあった携帯が着信を知らせているのだ。
 この着信音は……。
「……高木です」
「高木先生! 電話してみたです、ジャキーン」
  通話ボタンを押して応答すると、聞こえてきたのはエイジの声だった。電話の向こうのエイジのテンションは高い。何で俺に電話なんか……何か探られているのか? ……と思ったが、同時にそんな狡猾なことをするタイプでもないし、必要もないだろう、と思い直した。何か用事なのだろうか。一体俺に何の用が?
 それにしてもエイジ、結構電話とかするタイプなのか……? 携帯の操作は慣れていないようだったが、電話をすること自体は好きなんだろうか。電話が好きだろうが嫌いだろうが俺はどっちでもいいが、やはりわざわざ俺に電話してくる理由はわからない。
「こんばんは。新妻さんから掛かって来るなんて、ちょっと驚きました」
「僕、電話は好きですケド。今何やってたです?」
「ええと、ネームの直しを」
「ネームですか! ごめんなさい、お邪魔したです」
「いえ、ちょうど息抜きしてたところなので大丈夫ですよ」
「そうです? 話しても大丈夫です?」
 電話には驚いたが、友好的な話し方に思わず頬が緩む。いや、元々エイジは俺たちに対してはかなり友好的だ。こちらが一方的にライバル視していただけで。ライバルだと思っているのは今も昔も変わらないが、あの時の自分たちには、今こうしてエイジと電話で話しているなんて思いもしなかっただろう。
 俺とエイジは他愛のない話ばかりしていたが、今までエイジのような変わったタイプの人間と会うことはなかったので、会話の一つ一つが新鮮だった。会話の内容自体は本当に他愛のないものだ。ただ、やはりどこか普通の人とは違う。着眼点が違うと言うべきか、見ているものが違うと言うべきか。正直言うと、面白かった。それは(電話越しではあるが)人間観察をしている感覚に近い。カテゴリに収まらない人間がどのような考えを持っているのか、それを知ることは俺の知的好奇心を満たすことといつの間にかイコールになっていたのだ。
 ふと時計を見ると、短針が11と12の間を差していた。意外と長く電話をしてしまったようだ。そこまで会話が続いたことに驚いた。
「すみません新妻さん、結構長く話してしまったんですが、お仕事大丈夫ですか?」
「はい、全然ヨユーです」
  ヨユーなんだ……。サイコーからエイジ本人の筆の速さと、主に中井さんの背景描画の凄さを聞いてるから本当に余裕なんだろうな。すげーな。くそー。
「でも高木先生のネームの邪魔したくないので、今日はここまでにします」
「いや、お気遣いなく……」
「『TRAP』楽しみにしてるです! では!」
「あ、ありがとうございます。お休みなさい」
  エイジに対してお休みなさい、は正しい挨拶なんだろうか。そんな些細なことを少し考えながら通話終了ボタンを押そうとしたら、エイジの「高木先生!」と大声で呼ぶ声が聞こえた。驚いて携帯を落としそうになった。
「ど、どうしました!?」
「また電話してもいいです? 迷惑じゃないです?」
  迷惑じゃないか、なんてエイジにしては殊勝な言い様じゃないか。……いや、俺がそう思っているだけで、もしかしたら素のエイジはこうなのかも知れない。短期間でもアシスタントとしてエイジに接したサイコーと違い、俺は2度顔を合わせただけ。そして1時間電話で話しただけだ。作品は常に見続けてきたが、たったこれだけでエイジの何が知れると言うのだろう。
 迷惑じゃないか、と俺に聞く声は不安そうな声そのものだ。いつもテンションの高そうなあの顔が、もしかして今は申し訳なさそうにしているのだろうか。その顔を思い浮かべてみると、頬が緩んだ。勝手に笑みがこぼれてしまう。笑っている気配があちらに伝わったのか、エイジが怪訝な声で高木先生? と呼びかけている。
「迷惑だなんてとんでもないですよ。また話しましょう」
「嬉しいです、また高木先生に電話します! では!」
「はい、お休みなさい」
  今度こそ通話が切れた。エイジの声がまだ耳に残っている。その残滓に身を委ねながら携帯のディスプレイをじっと見ても、通話の終了を示す文字が表示されているだけだ。新妻エイジ、やっぱり変なやつだな。
  思えば俺のエイジに対する評価は、敵視と嫉妬に満ちたものだった。だから勝手に偏見を持っていたのかも知れない。いくら変わっていると言っても、エイジも俺と同じただの高校生なのだ。俺は、このときから一人の人間としての新妻エイジに興味を持ち始めた。

 翌日、直した『TRAP』のネームを学校でサイコーに渡した。昨晩エイジと話し終えた後、気分転換が出来たせいかスラスラとペンが進んだのだ。エイジには感謝しておこう。
「これネーム直したやつ。清書頼む」
「おー、早いな。今日仕事場は?」
「行く行く」
  授業が全て終わるとすぐに2人で学校を出た。梅雨が明けたばかりの日差しは、夕方になってもまだ強い。心地よい風を全身で感じつつ、サイコーと雑談をしながら仕事場へ向かった。
「昨日ネームやってたら、いきなりエイジから携帯に掛かって来たんだよ。びびった」
「え? 携帯? エイジから?」
「うん」
「俺、エイジから掛かって来たことも、掛けたこともない」
「え、そうなのか?」
  意外だ。福田さんとは結構やり取りをしているようだし、エイジとも電話とか何かしらやり取りをしているものと思っていたのに。……何で俺に掛けて来たんだろう。最初の疑問にまたぶつかってしまった。
「何話したの?」
「別に普通の……漫画何読んでたとか」
  本当に、特にこれと言って特殊な話はしていない……はずだ。
「シュージンさ、エイジに気に入られてんじゃね? 高木先生才能あると思いますってエイジ前にも言ってたし」
「それはサイコーも同じじゃん。大体エイジは『亜城木夢叶』をセットで、って言うか作品が気に入ってんだろ」
「個人的にシュージンが気に入ってるとか」
「えぇー……?」
「まー俺はなんでもいーけど」
  関心がなさそうに別の話題を振られたので、とりあえずエイジの話はここで終わりになった。エイジの関心が俺にあるのかどうかは別として、俺が一人の人間としてエイジに関心を持ったことは確かだ。
 どちらにしてもあまり深く考えることでもない。例え以前敵視していたとは言っても、結果的に人脈が広がることは良いことだ。今度エイジから電話が掛かってきたら、エイジは何の話をするのだろう。そして俺は何の話をしようか。少しだけそのときを心待ちにしたくなった。

「ちわーす。あれ、新妻くん携帯持ってどうしたの? 壊れた?」
「……電話したいです」
「すれば?」
「……我慢です」
「? 何で?」
「……高木先生からの電話も欲しくなりました」
「あっそ。それより床に散らばってんの、今日の分?」



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エ、エイジと高木のお友達への第一歩…(えー……



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