ホストパロ

「ありがとうございます、また来て下さいね」
「あっちゃん今度一緒に出掛けてねぇ〜? いつもさらっと流しちゃうんだからぁ」
「はは……」
 熱い視線を送る女性とは裏腹に、乾いた笑い声をこぼした。それに気付かれる前にタクシーのドアを閉める。煌びやかに着飾った女性は、タクシーに乗せられて 夜明けの街へ消えた。張り付いたままの笑顔をすっと外し、高木はため息を吐いた。のろのろと入った店の中では、ボーイと同僚ホストが片付けをしている。そ れを手伝おうと酒の入ったままのグラスを持ち上げると、強い酒だったのかむっとしたアルコール臭が鼻についた。
「出掛けてやれば? 太客なんだろあっちゃん」
「あっちゃんって言うな、ちーちゃんって呼ぶぞ」
 隣の席で片付けをしていた同僚ホストが高木に話しかけた。「ちーちゃん」と呼ばれたその同僚はまだ幼さの残る顔をしており、垢抜けないとは違った可愛らしさがある。
 高木秋人はホストである。もっとも本業は大学生だが、大学の先輩にいいバイトがあるなどと誘われるままこの業界に入ってしまい、今やすっかりアルバイトホ ストである。しかし金だけは良いので何となく続けている。元々話し上手で、年上との接し方もお手の物だったのが功を成してか、そこそこの人気は得ていた。 ただし、思い切りとサービス精神が足りないため、収入も「そこそこ」である。
 「ちーちゃん」と呼ばれた同僚は、源氏名を「千里」と言う。高木と 同い年の専門学校卒だ。本業はイラストレーターで雀の涙ほどの仕事と収入を得ているが、本当は漫画家になりたいらしい。本名は真城最高、名をもりたかと読 ませるが、源氏名を決める際にオーナーに『最高→もりたか→森高千里→千里』と言う連想ゲームで源氏名を決められた経緯がある。「千里」の人気は中の下程 度だが、得意の絵で客の似顔絵を描かせると好評を得られるので、ヘルプとして重宝されている。また、可愛い系好きの客に地味に人気があるようで、その結果 収入は「そこそこ」であった。
 2人は仕事に対してあまりガツガツしておらず、生活できるだけの金が入ればいいと言う消極的な考えを持っている。そこで馬が合ったのか、2人は休みの日でも一緒に食事をするなど個人的な交流を持っていた。
「新しいメガネ買ってくれんじゃね」
「別に変えたくねーし。つーかあの客、すっげ目ぇギラギラさせて怖いんだよ……外出たらホテルに連れ込まれて犯されそう」
「客には逆らえねーしなあ」
 だらだらと雑談をしながら片付けをする2人だったが、先輩ホストに一睨みされると「すみません」と言い、以降口を噤んだ。上下関係の厳しい世界なので、上 には黙って従う。一通り片付けが終わり店を出ると、朝の日差しが少し柔らかくなる時間だ。日勤のサラリーマンや学生の登校時間よりは遅い。朝のラッシュに 巻き込まれることのない、のんびり出来る時間だった。高木と真城は2人並んで店を出ると、同時にため息を吐く。
「シュージン、これから学校だっけ……」
「もうめんどくせー行かねー……。俺ラーメン食って帰るけど、サイコーは?」
「あー俺もラーメン食いたい……胃にあっついスープ入れたいわ」
  駅前のあの店が開いてる、でもあの店のラーメンも食いたい、などと話しながら、朝の日差しの下を歩いた。一目でそれとわかるスーツでラーメン屋を目指し、 熱いスープとコシのある麺を思い浮かべると途端に口の中が潤う。仕事明けの2人の半端なホストは、だらだらと朝の大通りを歩くのだった。


  ずるずる、ずるずると麺をすする音が響く。カウンター席が10、ボックス席が4程度の狭いラーメン屋である。開店したばかりの昼前のラーメン屋は、客もまばらだ。
 少し派手目なスーツを着た、一目でその職業と知れる真城と高木は、一心に目の前のラーメンをすすっていた。レンゲで琥珀色のスープを掬い、口元へ運ぶ。こくのあるスープは舌を伝い食道を通り胃へと到達する。熱いスープに体内を辿られ、高木は「くうっ」と唸った。
「やべー旨ぇよ、超うめぇ」
「酒飲んだ後だから尚更かも」
 スープにいちいち感動する高木をよそに、真城は淡々とメンマを口に運んだ。こりこりとした食感と、染み込んだ味を堪能しながら飲み込む。少し太めの麺のコ シは申し分ない。どんぶりの中身がある程度減ってくると、空腹も落ち着きを取り戻す。最後まで残しておいた煮卵を箸で掴みかぶり付いた。高木はトッピング を先に食べる派なのか、煮卵やメンマやチャーシューの類はどんぶりの上には見当たらない。真城は煮卵を最後に食べ、水を飲んだ。有線の流れる店内をぼーっ と見渡すと、カウンターの上に置かれたマンションのチラシが目に入る。駅前徒歩5分2LDKなどとお決まりの文句が紙面を彩っていた。
「……引越すかなぁ」
「え、サイコー引っ越すの?」
「でも金がなあ。今のアパート、隣が怪しい宗教団体の人で嫌なんだよな。変な集会やってっし」
「うわ、こえー……」
 真城は在学時に一人暮らしを始め、その流れで今も一人暮らしだ。最低限絵の描ける環境があれば良いということで、あまり高望みのしない物件を選んだが、住人には恵まれなかった。
「サイコー一人暮らしなんだよな。いいなー、俺も家出たい」
「何か不満でもあんの」
「そう言う年頃」
 ああ……、と真城は気のない返事を返した。意味もなく親元を離れて一人暮らしをしたがる時期は、確かにあった。真城もそれを踏まえた現在なので、その曖昧 な気持ちが理解出来る。今となっては、何も出なくても良かったのではないかと思わなくもなかった。何しろ実家住まいであれば、食事も洗濯も掃除も人任せに 出来るのである。
「でもバイトで金結構貯まったしな。そんなに選ばなきゃ住めっかも」
「敷金礼金2ヵ月分だぞ」
「あっ、そうか……払えなくはねーけど……」
 キツいかも、と高木の顔に書いてあった。真城は高木を見ながら、ぼんやりと新居の理想を立てていた。そこまで広くなくても良い、ただ住人は選べないのでせ めて壁が厚い物件で。と言うとやはり値段は上がりがちだ。真城は隣の住人に相当参っていたので、叶うならば今すぐ引っ越したいと考えているほどだ。しかし それにしては先立つものが足りない。
 仕事を頑張ると言っても、そう簡単には収入が上がるとは考えにくい。ただでさえ今のペースでいっぱいいっぱいなのだ。これ以上客を持って、毎日メールや電話を気にするのは嫌だった。ともすれば、提案は一つだ。
「シュージン、一緒に住まね?」
「サイコー、ルームシェアとかどう?」
同時に発言した2人は顔を見合わせて、笑った。


  2LDKで店までそう遠くなく、駅も遠くなく、壁が薄くなく、そんなに高くない物件。
 高木と真城は小まめに不動産屋に通っては、片っ端から賃貸物件を物色した。最終的に駅まで徒歩8分の物件に決まったが、物件を見学する際に毎回真城が壁を叩いて厚さを確認するので、その度に不動産屋の人間に嫌な顔をされ、高木は笑いを堪えるのに苦労した。
 名義は真城と言うことになったが、全ての費用を2人で折半することは、高木も真城も既に事前に確認済みだ。真城は隣人から開放されると言う安堵から、高木は初めて実家を出て生活することへの期待感から、それぞれ上機嫌だった。
「あっ、オーナーに引っ越しましたって言わなきゃだめだっけ」
「まだ引っ越してねーって。その時になってからで良いだろ」
 入居申込みをすませたその足で店へ向かう道中、真城はそのまま引越しのための考え事に1人没頭した。浮かれた足取りで隣で歩く高木は、明るい2人暮らし計画とやらをああでもないこうでもないと立てている。
「シュージン、ちゃんと引越し準備しとけよな。家具とかは当分俺ので良いけど」
「あ、そっか家具! 部屋フローリングだったよな。俺ベッド買わなきゃ。うち畳に布団だから。なぁサイコー、一緒に買いに行こうぜ」
「1人で行けよ……」
 良く喋る高木を放って、真城は店の軒先をくぐった。

「引越しね、じゃあ引越し後にでも事務に……アキトも一緒? 同居? へー」
  今のアパートの引き払い日と、高木と住む場所の入居日が一ヶ月を切った頃、真城はオーナーに引越しの旨を報告した。勿論同僚の高木との2人暮らしであるため、高木と一緒の報告である。オーナーは珍しそうに真城を見ると、ニヤニヤした目で2人を眺めた。
「そう言えばお前ら仲良いよな。でも彼女連れ込みづらいんじゃない?」
「いやー僕達お客様でいっぱいいっぱいですから彼女なんて!」
 高木がテンション高く対応し「失礼しました!」とオーナー室を出た。扉を閉めると途端に真城も高木もげんなりとした顔をする。
「……サイコー彼女いたっけ」
「いねー。て言うか、この仕事続ける分には当分女とかちょっと……」
「だよなー……。俺今サイコーと一緒にいるのが一番楽だもん」
 苦笑いをしながらも真っ直ぐな親愛を感じるその言葉に、真城の鼓動が少し高まった。それに気付かない振りをして「気持ちわりーやつ」と呟くと、早足にオーナー室を離れる。犬のように真城の後を付いて来る高木が、真城のスーツの裾を掴んだ。
「な、な、引越し準備終わった?」
「半分くらいな」
「俺も! あーすっげー楽しみなんだけど!」
「おまえ何でそんなにはしゃいでんだよ……」
 呆れた顔で後ろを振り返ると、満面の笑みの高木と目が合った。無邪気なその笑顔は子供のようだ。
「ベッド買ったか?」
「あっ、まだ。でも荷造りしてたらベッド買いに行く時間あっかなー……」
 オーナー室を離れフロアを通り過ぎ、ロッカー室に入る。先輩や同僚に挨拶をして、鏡で身嗜みをチェックしながら雑談を続ける。途中何人かに「引越しでもす るのか」と聞かれ、その度に真城は事情を説明した。普通に雑談に入って来る者や、非生産的な冗談を言う者など反応は様々だったが、皆口を揃えて言ったのは 「千里って他人と住めるんだ」と言う言葉だった。真城にとっては意外な言葉だったが、同時に自分がどう言うイメージで見られているかを悟った。
(そんなに人を寄せ付けなさそうに見えるかな……)
 友達はそれなりにいるんだけどな、と真城は高木をチラリと見た。高木はまだ半分浮かれながらシャツの襟元を弄っている。真城の視線を感じたのか、高木が真城の方を振り向いて「どうした?」と笑った。
「なぁ、俺って取っ付きにくそうに見える?」
「え? うーん……見えるかも知んねーし、見えねーかも知んねー」
「どっちだよ」
「別に俺には見えないけど、サイコーはクールだから、もしかしたらそう見えるんかもな」
 答えになっていないことを言うと、高木はそれきり何も言わなくなってしまった。よくわからないまま真城がじとりと高木を見ていると、また高木が振り向いた。
「な、やっぱりベッド買いに行くの付き合って」
「1人で行けって」
「1人で行ってもつまんねーじゃん。飯奢るからさ」
 な! と手を合わせて頼まれると、真城も嫌だとは言えなくなってしまう。結局気が進まないながらも、高木の買い物に付き合うこととなった。

  その後売り場で高木がダブルベッドを気に入ってしまい、他意なく真城に「これなら一緒に寝れるな!」と言ってしまったがために、店員から男夫婦を見る目で見られたのは別の話である。


 意外なところで周囲の人間の自分への評価を目の当たりにし た真城は、それを気にしてか少し前から「人にちょっと優しくする週間」を実施していた。「人に優しく」ではなく「ちょっと優しく」なのが真城の傲慢さを表 している。週間といっても真城が飽きればそれで終わりだが、曲がりなりとも接客業である以上は、優しくして悪い方向には行かないだろうと言う安直な考えの 末の実施である。それは思いつきで始まり、思いつきで終わるのだ。
 真城はどちらかと言うとドライな客捌きをしていたので(それが好きな客もい る)真城のちょっと優しくする週間は良くも悪くも真城の売り上げに響いた。面倒だが今までの方が良いと言う客には今まで通り、何も言わない客にはちょっと 優しく週間の実験台となった。大抵今までの方が良いと言う客は「カワイイのにクールだからもっとカワイイ。だからカワイイ」と言う、ギャップとそれによる 相乗効果に参っているらしい。西瓜に塩を掛けると甘く感じる原理と同じようなものだ。真城は可愛いのである。顔は。

 その日は真城の指名客が開店直後に入った。すぐに指名が入ることはあまりないので、真城は少し面倒だと思いながらも心の中で小さくガッツポーズをした。面倒よりも金の力が勝る。客はあまり派手ではない女性だ。隣に座り、軽く飲み物を作りながら愛想笑いをした。
「指名ありがとうございます。また来て下さって」
 年上の女性に優しい言葉を掛けながら、真城はもう1人の自分が冷ややかにその光景を見ている気分になっていた。考えていることは「帰って絵の仕事の続きや りたい」とか「引越しの荷造りしなきゃ」とか、そんなものである。絶対に合わない仕事だと思っていたのに、やってみればみたで案外順応するものだ。ド新人 の時はそれなりに厳しかったが、今はそこそこ稼げているし、仕事として割り切れば面倒ごとも回避出来る。客と他愛のない雑談を続けながら、適当に注文を取 らせる。迂闊にボトルでも入れれば離れて行きそうな客なので、様子を見ながら金を落とさせるタイミングを狙っていた。目が合ったのでにっこりと微笑む。
「千里くん、最近優しいね」
「そうですか?」
 「人にちょっと優しくする週間」が功を成したのかどうかはわからないが、目の前の客にはウケが良いらしい。真城はこの時点で既に優しくする週間に飽きてい たので、そろそろ通常に戻ろうかと考えた。もともとこの客からは優しくする前から指名を取れていたし、特に問題はないのだった。客のグラスの水滴を拭いて いると、客が何か言いたそうにじっと真城を見ていたので、仕草で「優しく」言葉を促す。
「ねぇ、私って客?」
(うわ……)
 真城は心底げんなりした。しかし仕事は仕事である。そんな心中を読まれないよう、笑顔の仮面を被る。そして切なそうにこう言うのだ。
「今は客だけど、でもこれからはわからない」
 客は頬を染めた。マニュアル通りである。

 日付が変わって少し経ったころ、店の1部営業が終わる。2部営業は日の出からの開始である。1部と2部の出勤はローテーションだが、今日は真城も高木も1部だったので顔を合わせれば話すことも多い。
「サイコーお疲れー!」
「おーお疲れ。おまえ今日キャッチ行ってた?」
「あ、うん。最初だけだったけど。2人しか捉まんなかった」
 だらだらと雑談をしながら着替える。他の同僚は2人と同じように着替えたり、アフターの客への連絡をしていたり様々だ。まだ〆日までには日があるので、皆 のんびりとしている。2人はお先にと挨拶をして店を出た。大通りはまだ活気付いていて、何人かのサラリーマンが、顔を火照らせながら上機嫌で歩いていた。 道には路上駐車のタクシーで溢れ、酔っ払い相手に手ぐすねを引いている。
 2人で今日はどこに飯を食いに行くかなどと話していると、ふと誰かに呼び止められた。その名前には2人とも当てはまらない。しかし特定の場所だけで通用する名前だった。呼ばれたのは真城だ。
「千里くん」
「え?」
 店から少し離れた場所に、その声の主はいた。真城に、私は客かと訊ねた客である。真城は営業スマイルを浮かべて、とりあえず「どうしたんですか」などと声を掛けてみた。店の客なので、高木も一応の挨拶をする。
「ねえ、これからアフター行かない? 千里くんの行きたい所行くよ」
「これからですか?」
 これからアフターとなると、2・3時間は拘束されるだろう。もしくは場所によっては明け方まで拘束されるかもしれない。金は客が全て出してくれるだろう が、どうにも真城はノリ気ではなかった。むしろ真城は普段からアフターに関してはノリ気ではない。面倒なのだ。高木は身の安全が保障出来ると確信した上で 金払いの良い客に限って行っているようだが、真城は余程気分が乗らないと行かないので、言うなれば付き合いが悪い方だ。逆にそれがプレミア価値となって客 は奮起するのだが、真城にとっては駆け引きでもなんでもなく、単なる気分の問題だ。
  真城はチラリと高木を見た。今日は一緒に夕食を食べに行く事になっている。ここで客を優先しても高木は気持ちよく送り出してくれるだろうし、同業ゆえの理解も十分あるが、真城は何となく高木との時間を邪魔されたくないと感じた。
「ごめん、今日は都合が悪くて」
「そうなの? 勿論奢るし、プラスしても……」
「すみません、本当に今日は」
 何度か食いつかれ、その度に真城は謝った。やがて諦めたのか、客は引き下がって夜の街へ消えて行った。潔く帰ったのだろう。ふと、少し下がった場所でやり取りを見ていた高木に視線を向ける。少し驚いているようだった。
「いいのか? プラスするって言ってたのに」
「気分じゃないし。それにシュージンとメシ食いに行くし」
「えーっ!? 客より俺優先!? うそ!?」
「……う、うるせーな。俺もシュージンと一緒にいるのが一番楽なんだよ」
 それを言ってすぐ、真城は恥ずかしくなって顔を俯かせた。言わなくて良いことを言ってしまったと後悔したが、先程までうるさかった高木の反応がないことに 不思議に思い、チラリと窺ってみた。高木は夜でもそれと判るほどに顔を赤くしていた。その反応に逆に驚いてまじまじと顔を見てしまう。高木は手のひらで頬 を覆い、女のように恥らう振りをした。
「やべ、何か超恥ずかしいって言うか、サイコーの口からそんな言葉出るなんて」
「……どう言う意味だよ」
「き、気持ち悪いような、嬉しいような、でも嬉しいような嬉しいような!」
「おまえうるさい」
 それ以上の高木の言葉を断ち切って、真城は夕食のための店を探すべく歩を進めた。高木が慌てて後を追い謝ってきたが、本当は真城も照れくさくてとても居たたまれなかったのだ。熱くなった真城の頬を夜風が冷やした頃、真城は高木を振り返り笑った。


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地味ホスト。



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