2.14顛末

 その包みは一見して用途のわかるものだった。例えばその外観は地味ながらも美しさを目的とした包み紙に包まれていたし、その大きさは負担にならないように手のひらにちょうどよく収まるサイズである。(これは男性の手の大きさに準じた比較だ)それを貰った真城は今日が何の日であるかと言うことには納得したが、目の前の人物から貰えるとは全く思っていなかったので驚いた。だからと言って嬉しくないことはないので、今この瞬間から十分ニヤけることが許される環境だ。
 仕事場には定位置の真城と、机をはさんだ向かいにいる高木の2人しかいない。
「……これシュージンが買って来たのか? 本当に?」
「もちろん」
  それが本当なら目の前にいるプレゼントの送り主である高木は相当の度胸の持ち主だ、と真城は思わざるを得ない。中身がチョコレートであった場合、と言うよりもそれ以外の可能性が限りなく低いのだが、この時期こう言ったものを買うことによる弊害は筆舌に尽くし難い。その弊害を乗り越えこうして結果として目の前で渡してくれたものは、真城でなくても十分愛されていると感じることが出来るものだ。真城は別にいいのにと思わないでもなかったが、目の前でニコニコしている高木の気を悪くすることもないので口には出さなかった。
「サ、サンキュ」
  照れた真城は少しぶっきらぼうに礼を言った。目の前で微かに頬を上気させて嬉しそうに笑っている高木が、ちゃんと全部食べてくれと言ったので、もちろん、と返事をした。食べない選択肢なんて真城にはないので、愚問と言えば愚問だ。
 高木が目線で開けて欲しがっていたので、意を汲んでパッケージを開けると予想通り中身はバレンタイン用のチョコレートだった。ブロック状の小粒のチョコが10個ほど並ぶそのチョコを見れば見るほど高木の勇気に恐れ入る。あの女性の群れに男が1人で入って行くだけでも相当の罰ゲームだ。もしかしたら品物の指定だけして実際にチョコを買いに店に行ったのは香耶かも知れないと真城は思ったが、そこはあえて追求しないようにした。あの喧騒の中、絶対に高木自身が身をもって買いに行ったものでなければ、とまでは言うつもりはない。
 ひとつひとつが繊細な細工品のようなチョコを一つ摘んで口に入れた。控えめな甘さが真城の好みに合う。元々真城は甘いものを好んで食べる方ではない。それは高木も同じようなものなので、とても『わかっている』チョイスと言える。二つ目を摘んでふと目線を上げると、真城をじっと見ている高木と目が合った。食べたいのかと思って摘んだチョコを高木の口元まで持って行くと、真城の指ごと食われる。舌が何度か真城の指をなぞり最後に唇がちゅう、と指先を吸って離れた。指ごと食うなよと言おうとして開けた真城の口に、今度は高木の唇が吸い付く。ふわりとチョコの匂いが鼻腔をくすぐった。高木の口の中にはまだチョコが残っていて、互いの口内で小さなチョコをシェアすることになってしまった。2人の口内にあるチョコに歯を立てて噛み砕くことは出来ないので、舌をもって溶かす手段しかない。ころころとチョコを転がしながら真城は高木の舌をあしらっていた。高木はと言うとチョコなんかには見向きもせずに真城の舌ばかり追っている。
「んっ……、ん、んぅ……」
  ちゅ、ちゅ、と唾液と舌を絡ませて貪欲に真城の唇を吸う。身を乗り出した姿勢はいつ机に乗り上げてもおかしくないくらいだ。チョコも一緒に舐めているせいか、いつもより唾液過剰なキスだった。飲みきれなかった唾液が高木の顎を伝い、机の上のトレス台に落ちる。
(……あとで拭かなきゃ)
  垂れた唾液を横目でぼんやりと見ていた真城も頭の芯が徐々に痺れてきて、トレス台の染みなどどうでもよくなってきた。高木は相変わらず飽きずに真城の舌を吸っている。チョコはとっくに溶けてなくなってしまい、ただ唇同士で互いを貪る2人しか残らない。
「……ん、っは」
  どちらともなく唇を離すと真城が高木の口元から垂れた唾液を舐め取った。高木がその感触にぶるりと震えて唇から切ない吐息を漏らす。その吐息で真城の中の何かに火が付く前に、上気した頬と潤んだ目で迫る高木の肩を押してもうおしまいと意思表示をした。物足りなさに眉を下げた高木だったが、すぐに気を取り直してチョコを一つ摘んだ。このくらいでめげていては真城にひっついていられない。
「なぁ、チョコが溶ける温度って29度からなんだって」
「ふぅん」
  もっとしつこくねだって来ると思っていた真城は拍子抜けしたが、手間が省けたことは良かったと思っていた。高木は一度火が付くと犬のように尻尾を振ってねだって来るので、時折少し面倒なのだ。四六時中そんな気分になれる訳でもないし、ただでさえ真城は高木に比べて淡白だ。
「で、サイコーに問題。人の体温って何度?」
「……36度くらいだろ」
  ピンポーン、と正解を示しながら高木は左手を差し出した。摘んだチョコは表面が少し溶け始めている。高木の体温で溶けたことを見せているのはわかったが、何の意図があるのかまでは読めない。が、高木が次の行動を起こした時に意図は読めた。
 いつも着ているトレードマークとも言えるジャージ、そのジッパーを右手で下げて前面を完全に開けた。その下にはシャツを着ていて、同じく右手だけでボタンを外していく。4つボタンを外したところで手を止めて、案の定肌に直接チョコを触れさせた。鎖骨の少し下あたりにぺたりぺたりとチョコを馴染ませていく。チョコの冷たさにぴくりと肌を震わせながら自らチョコを肌に塗りたくる姿は、事情を知らない者ならさぞ滑稽に見えることだろう。事情を知っていても滑稽に見える光景ではあるが。
 チョコの溶解温度を人間の肌が持っていたとしても、たかだか36度前後の体温ではそう簡単には溶けない。適切に湯銭をするための温度は45度以上だ。それでも暖房もきいていて温まった身体なら、すぐにとは言わずともそこそこ溶けてくれるのだから都合が良い。
「サイコー、食って」
  見下ろした姿勢を屈むことで目線を同じにし、間近で囁く。高木の声はこれ以上ないくらいに媚びた声をしていた。そしてそれを言われた真城もそこまでされては目の前のチョコ、そして高木にむしゃぶりつくしかなかった。ガタンと音を立てて椅子から立ち上がると高木の元へ赴く。チョコを掴めるだけ掴み取って、ニコニコしているだけの高木をソファに押し倒し、その上からチョコをバラバラと落とした。これから使うための可愛い可愛い小道具だ。
 高木の肌の上に落ちた一つのチョコを摘んで、目の前に横たわっている誘い上手な男の口の中に入れた。嬉しそうにそれを口の中に招き入れると、また真城の指までも食んでしまう。今度はさっきよりももっと執拗に指を舐めた。指の腹、爪の境目、さらに指の股まで舌先でちろちろと探られて、真城の肌がぞくりと泡立つ。高木の顔を見ると、とろんと発情しきった顔で懸命に真城の指をしゃぶっていた。それがある種の擬似行動に見えてますます体温が上がってしまう。溶けかけのチョコと一緒に高木の肌に舌を這わせるとじわりと甘い。高木の肌が甘いような錯覚にとらわれて真城は心の中で苦笑する。ふと服を引っ張られた。吐息まみれの声で高木が何か言っているが、指をしゃぶっているせいで上手く発声出来ないようだ。真城が指を抜いてみると一つ息を吸って言った。
「……早く全部食って」
  あぁ、嫌だなぁ……。食われそうなのは僕の方だ。
 真城は観念して目の前のチョコに覆い被さった。


「って言う感じで」
「…………はぁ」
  そうとしか返事が出来なかった真城は、そう急ぐこともない下書きをしながら高木に貰ったチョコを摘んでいる。チョコは旨い。旨いが高木の話は全くうまくない。何でこう言うことに限って普段の倍以上頭が回るんだろうと真城は思ったが、こう言うことに限って真城の頭が回らないからそう思うだけである。
「て言うか、それ今俺に言ったらダメなんじゃねーの?」
「だってちゃんと流れ説明しないとサイコー乗ってくれなさそうなんだもん」
  説明しようが説明しまいが真城がドン引いてることには変わりないが、その辺はあまり頭に入っていないようだった。真城と高木はそう言う仲だが、ロマンチストな真城は高木の俗っぽい提案にはいまいち及び腰である。言うなれば『普通』が一番良い。チョコを一つ摘んで、乗ってこない真城の口元に押し付けて食べさせた高木は、すぐに自分の唇を押し付けた。
「ん、なぁ〜……しようぜチョコプレイ〜」
「やだよ、んむ、溶けたら汚れる、だろ」
「じゃあ風呂で、なら、んんっ、汚れても大丈夫、だろ」
「風呂でもの食いたく、ねーし……つか食い物、んっ、で遊ぶなよ」
  正面から至極真っ当なことを言われては何も言い返せない。唇を離すと高木が目に見えてしょんぼりと落胆した。眉が下がりきったその顔にぞくぞくと這い上がるような感覚を覚えたが、それをどうにか押し留めて真城が大げさに溜息を吐いた。
「……シュージンはどっちがやりたいんだよ。チョコで遊びたいのか、それともしたいのか。どっちか片方だけなら付き合っても良い」
「俺はチョコ使ったセックスがしたいんだけど……」
「やだよ。どっちかにしろよ。別にどっちもやんなくても俺は構わないし」
  えー!? と盛大なブーイングを受けたが真城のスタンスは変わらない。うんうん唸りながら考える高木を横目で見ながら下書きをする真城の顔は満悦そのものだった。真城だって高木とセックスはしたい。それでも自分のために悩みに悩んでいる高木を見ることの方がよっぽど楽しいし、嬉しいし、興奮するのも確かだった。一番最後の感情を真城が自覚しているかは怪しいところだが。真城がこんなに余裕を持っていられるのは高木が選ぶ答えをわかっているからだ。結局高木の望むことはいつも同じで、それに付随するものは真城にとってはノイズに過ぎない。そのノイズもたまには良いと思うこともあるが、やはり真城は『普通』が一番好きなのだ。
 やがて意を決した高木が決めた! と叫んだ。
「……セックスしたいです」
「最初からそう言えばいいんだよ」
  チョコはノイズだ。今回も自分の望み通りにノイズを除去した真城は優しく高木に笑いかけた。それだけで高木は頬を染めて笑うのだから、何年付き合いが続いても飽きが来ることなんてない。
「じゃあ、じゃあこれだけ使わせて! チョコの香りのゴム! これならいいだろ?」
  だが何事にも稀に例外はある。目の前で高木がポケットをゴソゴソと探って小さな包みを取り出して言った言葉は、何で僕こいつのことが好きなんだっけ……と根本的な疑問にぶち当たるほどのドン引きだった。
 これ以上テンションが下がることを言われる前に、さっさと原因を取り上げて、とりあえず高木の頭を殴って言われた言葉を忘れることにした。忘れないと勃つものも勃たなくなりそうだったし、真城なら何でもいい高木と違って真城はそれなりに雰囲気に左右されるからだ。

だからこの後一番頑張ったのは真城に間違いなかった。


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だんだん高木がKYに…



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