純はときに人を焼く

 1月は毎年恒例の新年会が行われる。
  作家の参加は一応任意ではあるが、暗黙の了解の下参加はほぼ強制のようなものだ。作家の都合により欠席は出来るが、その代わりそのペナルティは担当編集が被ることになっている。ペナルティ云々はともかくとして、作家の出席スタンスは様々なものだ。大抵は二つ返事で出席を口にする作家が多いが、中には担当に言われ渋々参加していたりする者もいないことはない。しかしこの場にいる未成年の漫画家は担当に特に恨みもないし、新年会も進んで出たい方なので前者である。
 この時既に連載作品の打ち切りが決まっていた「亜城木夢叶」は新年会への参加が2回目となるので、今回から挨拶する側から挨拶される側となる。挨拶に追われた前回よりはのんびりと過ごせる新年会ではあったが、打ち切りのショックはまだ少し引きずっていた。しかしそんな様子は微塵も見せずにこの場に参加している。
 亜城木の近くには、今やジャンプの看板作家として名を馳せている新妻エイジが常にぴったりと張り付いていた。亜城木に、と言うよりは、よく見ると原作担当の高木によりぴったりとくっ付いていることに気付く。新妻の連載作品である『CROW』がアニメ化されたこともあり、新妻と話をしたがる作家や編集は多い。しかしその都度相手をしながらも、新妻は尚も亜城木の側から離れない。プライベートな話もあるだろうからと、最初のうちは気を使ってその場を離れようとしていた亜城木だったが、高木の腕をがっしりと掴んだ新妻はそれを拒んだ。「側にいて欲しいです」と言うのである。他に特に用事があるわけではない亜城木は、そこまで言うならと新妻の側にいたのであった。
 新妻エイジの亜城木贔屓は有名で、今この新年会に参加している連載作家も何割かは知っている。ちなみに編集は編集長をはじめ9割方知っている。知らないのは新しく編集部に配属された者くらいだが、それも知るのは時間の問題だ。だから新妻と話をしようと声を掛けた者は、新妻の側にいるのが亜城木と知ると皆納得した。そして嬉々として新妻が亜城木を紹介し、亜城木の作品がいかに素晴らしいかと言うことを熱っぽく語るので、その場にいる亜城木は気恥ずかしい思いをしなければならなかった。実際の亜城木と新妻を見れば、大抵は「歳が近いから仲が良いのだろう」と思う。それもあったが、新妻が並々ならぬ感情を原作担当の高木に向けていることを知る人間は少ない。その数少ない人間が作画担当の真城や、彼らを最後に挨拶回りを終えようとしている福田である。
「どーもー『KIYOSHI騎士』って漫画描いてる福田でーす。よろしくー」
 福田が棒読みで挨拶の言葉を掛けると3人から笑みが漏れた。いつものようなラフな服装の福田が、雄二郎を引き連れて3人の前に姿をあらわしたのだ。少し疲れたような顔をしているのは雄二郎も同じで、今まで2人でこの会場にいるすべての作家へ挨拶をしていたのだった。雄二郎も馴染みの深い顔にほっと安堵のため息を吐く。福田はもちろんだが、編集である雄二郎も挨拶回りには気を使う。何しろ作家の中には大御所も多いのだ。失礼がないようにと細心の注意を払うし、何しろ普段接さないものだから作家として以前に人間として気を使う。
「挨拶回りですか?」
「そう。真城くん達で終わりだけどな。すげー疲れたー」
 そう言って側にいたボーイの運ぶシャンパンのグラスを手に取ると、一気に喉に流し込んだ。亜城木や新妻も挨拶回りは経験しているのでその大変さはよくわかっている。現時点で連載している作家と、直近で連載が始まる作家、その他様々な作家がこの場にはいる。人数だけでも20人は軽く超えるのだ。
「中井さん達も挨拶してたぜ。暗かったけど」
「あぁ……」
 中井と蒼樹もこの場に来ていた。もっとも亜城木と同じ時期に打ち切りが決まっているので、中井の消沈ぶりは想像に難しくない。そのまま4人で雑談をしていると、いつの間にかその場を離れていたらしい雄二郎が福田の下へ戻ってきた。手にはグラスを持っている。
「あれ、何だ違うの飲んでるのか。飲み物持ってきたけど、いらないかな」
「あ、いるっす。もーすげー喉渇いて」
 雄二郎の手から奪うようにグラスを受け取ると、また一気に中身を喉に流し込んだ。何度か喉を上下させると、あっと言う間にグラスの中身は空になってしまった。中身はアルコールなのかノンアルコールなのかは今となってはわからない。
「挨拶回りはこれで終わりだから、後は自由にしていいよ。二次会は六本木のク……」
 この後の進行予定を福田に説明する雄二郎が、ハッと気付いたように言葉を止めて福田と一緒にいる亜城木を見た。じっと2人を見て何度か瞬きをすると、わざとらしい咳払いをひとつした。
「……二次会は場所移るから、ここが閉会する頃にまた伝えるね。それじゃ」
 それだけ言うと雄二郎は人波に紛れてどこかへ行ってしまった。高木が小声で「キャバクラらしいですよ」と福田に言うと、福田からは納得したような気が抜けた返事が返ってきた。一応未成年の前と言うことで雄二郎なりに配慮した結果らしい。福田は成人しているため問題なく行ける場所であり、新妻は既に高校を卒業しているので今年からは行けるのだが、新妻に行く気があるのかはわからない。
「新妻くんは二次会行く?」
「うーん……興味はあります、ケド……」
 新妻は亜城木をじっと見た。正しくは高木を、だが。
「亜城木先生はダメなんですよね? 行けないんですよね?」
「うん、年齢が」
「まぁ18でも高校生ならダメだよな」
「じゃあ僕も行かないです」
 何の未練もない顔できっぱりとそう言った。来年一緒に行きましょう、と亜城木に向かって言う新妻を見て、福田は新妻が高木に固執していることを思い出した。面白いものを見るように高木と新妻を交互に見ると、2人に聞こえないように真城に耳打ちをする。
「なぁ、真城くんは知ってんの?」
「……何がですか?」
「いやいや俺らの間で隠し事は無しっしょ。新妻くんと高木くんだよ」
「あぁ……はい、まぁ……」
 その言葉にそうか、と頷くと、福田は高木と新妻に向かって尋ねた。
「俺らちょっと飲み物取ってくるわ。飲みたいもんあるか?」
「え、あ、僕はまだあるんで大丈夫です」
「僕も大丈夫です!」
 答えを聞くと福田は真城の腕を取ってさっさとカウンターへ行ってしまった。突然腕を取られて引きずられるようにその場を離されたことに高木も真城も驚いたが、真城は福田の2人への気遣いだと言う事に引きずられている最中に気付いた。とは言っても福田がどこまで知っているのか真城は知らなかったし、逆にあの2人が本当にそう言う仲なのかと言うことも真城ははっきりと聞いたことはなかった。要するによくわからないが、とりあえず仲が良いらしい……程度の認識である。引っ張られていた腕が離されると、そこは一応カウンターの前だった。適当に飲み物を貰うと、福田は既に飲み物を貰って飲んでいた。行動が早い。
「悪いね真城くん。新妻くんがソワソワしちゃってるもんだから」
「いえ……」
 貰ったウーロン茶を福田の横で飲んだ。水滴で手を濡らさないようナプキンでグラスを包むように持つ飲み方もあることをここに来て初めて知った真城は、慣れない手つきでそれを実践している。もっとも、隣の福田は水滴を気にすることなくそのまま持って飲んではいるが。周囲を見回すと、皆思い思いに新年会を楽しんでいる。遠くで平丸の声が聞こえた。また呑み過ぎて暴れてでもいるのだろうか。吉田さんも大変だと真城は少し同情した。
「アシしてる時にさー、新妻くんから結構高木くんの話聞いてたよ。結構って言うか、高木くんと電話した次の日なんか、空気がピンクでさー」
 はぁ、と気が抜けた返事を真城はこぼした。
「高木くんはそう言うことねーの?」
「うーん……そう言うわかりやすい反応は……。でも話題にすることは多いかな。て言うか多くなった」
 視線で人の波を潜り抜けると、ちょうど高木と新妻の姿が見える。2人は皿に取った料理をつまんでいるらしい。ソースでも付いているのか、料理を頬張る新妻の口元を高木が指差している。上手く口元のソースが取れずに焦る新妻を見兼ねてか、高木がそれを指で拭ってそのままぱくりと食べてしまった。心なしか新妻の顔が少し紅潮したように見えた。2人はそのまま仲良く料理を食べている。
「……今の見た?」
「食べちゃいましたね……」
「いやー……ラブラブじゃねーの……」
 高木の行動が無意識なのかどうなのかはわからないが、少なくとも自分はあんな風にされたことはないなと真城は思った。それがつまり、そう言うことなのだろう。言って欲しかった、と思うと同時に、そんなこといちいち言わなくてもいいかとも思った。
「俺もさー……最初新妻くんに聞いた時は引いたんだけど、ホラ高木くんは男じゃんか。でも高木くんのこと話す新妻くんがすっげー幸せそうだからさー、何かそれ見てたらどうでもよくなっちった。だからえーと……真城くんもさ」
 最後まで言われなくても福田の言いたいことはよくわかった。暖かく見守ってやれというのだ。言われなくても高木の好きなようにすればいいと真城は思っているので、軽く「わかってますよ」と返事をすることで自分のスタンスを告げた。真城のその言葉に満足したのか、福田は笑って真城の背をポンポンとたたいた。その仕草からは新妻への情と心配が見て取れる。福田は一見冷たそうに見えるが、一度懐に入れた相手には驚くほどの情の深さを見せる。新妻だけではなく真城たちもその対象だ。
 高木と新妻の仲睦まじい様子を見ながら、2人でグラスを傾ける。
「まー俺は女の子の方が良いけどな」
「僕もそうです」
「真城くんって彼女いるんだっけ?」
「フィアンセがいます」
 マジかよ何それ! と福田が食いついたと同時に、編集から一次会閉会の声がかかった。上層部の挨拶があるので、少しの間黙って大人しくしていなければならない。まず編集長へとマイクが渡され挨拶が始まると、福田は渋々口をつぐんだ。
 挨拶が終わるとやがてその場はお開きとなり、編集と18歳以上の作家はほとんど二次会会場へと移動を始める。雄二郎も福田のもとへ来て二次会の参加の意思を聞いた。特に断る理由もないし自分の金ではないからと、二つ返事で参加を伝えた。二次会会場へ移る前にとりあえず2人のもとへ戻った真城と福田は、2人だけにして数十分程度だったのにも関わらず、周囲をピンクの空気に変化させた新妻を見ることになった。高木はどうかと言うとあまり変化はないのだが、打ち解けているのは確かだ。
「あれ、サイコー遅かったな」
「ち、ちょっと話してた」
 ふうん、と不思議そうに真城を見る高木には、とてもではないが新妻との関係について聞くことは出来なかった。そのうち話してくれるだろうと考え直して、帰りのリムジンの連絡を入れようと携帯を取り出した。呼び出し音が2回鳴ると通話が繋がった。詳しいことは何も言わなくても、毎年恒例の新年会について運転手は熟知している。名前を告げて迎えを頼むと「すぐにお迎えに参ります」と丁寧な口調で返された。
「高木先生、今日はお会いできて嬉しかったです」
 よろしくお願いしますと言って通話を切る前に、新妻が高木に話しかけていた。会えた嬉しさと過ごした時間の楽しさ、そして惜別の思いにその顔は彩られていて、顔は笑っているのに切なさを感じさせた。普段の新妻からは想像し難い表情だ。
「高木先生といっぱいお話出来て楽しかったです」
「僕も楽しかったです。また機会がありましたら」
「本当はもっとお話していたいですケド……」
 この職種の者にとっての「機会」とは、本当に作ろうと思わなければ出来ないものだ。それこそスケジュールを完全に管理して時間を作らなければならないのである。そして近隣に住むならまだしも、この2人の物理的距離はあまり近いとも言えなかった。遠くへ行く恋人を惜しむような空気を醸し出す2人に、真城と福田は取り残されていた。新妻のようにストレートな言葉は出さないものの、高木は高木で新妻を振り切ろうとはしない。リムジンの到着はすぐだと言うのにだ。
 2人の様子をぼんやりと見ていると、真城の携帯が鳴った。リムジンが到着したのだ。本当に「すぐ」の到着だった。この会場と営業所が近いこともあるのだが、電話を入れてから5分程度しか経っていない。リムジンの迎えが来たことを高木に告げると、一瞬困ったような顔をしたのを真城は見逃さなかった。新妻にいたっては高木の手を握ってまで別れを惜しんでいる。新妻が誰かに積極的に触れる場面を初めて見た福田は驚いた。
(ホントに好きなんだなぁ……)
 珍しさにまじまじと新妻を見る福田の隣では、真城が困ったように頭を掻いていた。帰る時間とはいえ、2人を引き離すようであまり気分は良くない。どう切り出すか考えていると、新妻が思い付いたように言った。
「高木先生! 今日僕の家に泊まってくれませんか!」
 その突然の申し出に新妻以外の人間は皆呆気に取られた。帰らないでくれと言っているようなものだからだ。新妻が他人に対してここまで我を通すのは珍しいことだと思ってはいても、やはりどうかと思う気持ちも強い福田は口を出してしまう。
「新妻くん……離れたくないのはわかるけど」
「あ、そうか。泊めてもらえば良いんだ」
「……え?」
 新妻の提案に納得した声を上げたのは意外なことに真城だった。
「新妻さんも言ってくれてるんだし、シュージン泊まってけば? 明日も冬休みだから学校ないし」
「え、でも……」
 真城の言葉にまごついている高木に、真城は小声で言った。
「泊まりたくないなら帰ればいいじゃん。シュージンは泊まりたいの? 帰りたいの?」
 帰るか泊まるかの二択を突きつけられた高木は少し考えると、はにかんだような顔を見せて「泊まる……」と小声で言った。その顔は今まで真城も見たことのないような顔だったので、高木が新妻をどう思っているのかすぐにわかってしまった。真城は自分の中でそう言うことなのだと結論付けて整理をつけると、高木の背をぽんと押した。
「新妻さん、高木泊まるって。よろしくお願いします」
「ホントですか!!」
 新妻は飛び上がる勢いで喜んでいて、高木は照れくさそうにしている。ああ、何だそう言うことじゃんか。いつの間にそんなことになってたんだろう。とぼんやり考えていると後ろから福田に突付かれた。
「何て言って説得したんだよ」
「説得なんてしてないですよ。泊まるか帰るか聞いただけ」
 いまいち納得の行かない顔をしている福田をよそに、とうに迎えが来ているエイジ用のリムジンに2人は乗って帰ってしまった。その後ろ姿を真城と福田がぼんやりと見ていた。
「お持ち帰りだな。……って言いたいとこだけど、新妻くんすげー純情だからなぁ……」
「そうなんですか?」
「ああ。去年の新年会に会っただろ? 高木くんの近くにいるだけで十分だったとか言ってた」
 真城には新妻の気持ちはわからないでもなかったが、この場で言う必要もないと思ったので黙っていた。おそらく福田にはわからない感覚なのだろうと考えてのことだ。気持ちだけで全てが満足することもあるのだ。
「だから多分、泊めても何もねーな」
「……じゃあそのうち高木が我慢出来なくなるかも。即物的な所あるから」
「へー……ストイックなイメージだったけど見かけによらないな」
 2人で好き勝手に言っていると、雄二郎が福田を探しに来た。二次会会場へと連れて行くためだ。それをきっかけとして福田は二次会会場へと向かい、真城はリムジンで帰宅するために挨拶をして別れた。
 リムジンの運転手に1人だけであると言う事を告げると、承諾の言葉だけを告げてリムジンを走らせた。真夜中の高速道路を窓越しから眺めながら、帰ったら何と言ってやろうかと考えて真城は少しほくそえんだのだった。


「いっぱいお話できました! 夢みたいでした!」
「そうか……良かったな……。新妻くんも人並みに惚気るようになって俺は嬉しいよ。で、その後はどうだったんだ?」
「その後? 駅までお送りしたです」
「違ぇーよ、その前!」
「その前?」
「高木くんと楽しくお喋りしたんだろ? その後は?」
「ちゃんと眠ったですよ?」
「……、あー……そうか、良かったな……。いや、いいんだ、うん、何でもない」



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「プラトニックなエイ秋に福田さんが大人の心で見守っている」と言うリクだったんですが、真城が大分出張ってしまった…!



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