保健室

 その日は3限から保健室で寝ていた。どこか具合が悪いとか気分が悪いとかではなく、単に眠いのでベッドを借りていただけだ。朝保健室の前を通ったらドアに「本日出張」の札が下げられていて、ちょうどいいやとベッドを借りたわけだ。普通に授業に出ていてもどうせ寝るのは変わらない。場所が机の上かベッドの中かの違いだけだ。一応授業に出てれば面目も立つかも知れないが、席にいて寝ている生徒と、席にいなくて寝ている生徒は先生側から見てどちらが扱いやすいかは知らない。
 3限から昼休みまでずっと寝ていて、4限終了のチャイムで目を覚ました。腹が減ったので昼飯を食べに教室に戻ろうとしたら、コンビニの袋を持ったシュージンが「失礼しまーす」と言いながら保健室に入ってきた。僕が保健室で寝ている間、シュージンは一応授業に出ていたらしい。保険医不在を「シュージンも来れば」と言う文章と共にメールを飛ばしたが、「俺はいいや、サイコーゆっくり寝てろよ」と言う返事が返ってきた。少し意外だった。もっとも、授業には出ていてもちゃんと起きて受けていたかどうかは知らない。欠伸をしながらもどこかすっきりとした顔をしているのを見ると、やっぱり寝てたんじゃないだろうか。結局場所が違うだけで、僕もシュージンもしていることは同じだ。
「よく眠れたかー? 昼飯持って来たぞ。食うだろ?」
 礼を言いながらのそのそと重い布団から出て、思いっきり背伸びをした。だいたい2時間くらい寝ただろうか、ちゃんと布団で寝たせいか眠気は大分すっきりした気がする。やっぱり机で寝るのと布団で寝るのは違うなぁ、と今更なことを思った。
 保健室に備え付けてある簡素な応接セットに座り、コンビニの袋を漁る。朝適当に買って来たおにぎりやパンなどが入っているが、寝起きはあまり食べる気がしない。しばらくペットボトルのお茶をちまちま飲んで胃を慣らした。
「サイコーが寝てる間、誰か来た?」
「いや、誰も来なかったと思う」
「そうか。あんまり使われてないんかな。結構穴場?」
  だいたい僕たちのサボりコースと言えば屋上くらいのもので、あとはそもそも学校には行かない選択肢になる。病気を装ってわざわざ保健室に来なくても仕事場に行けば好きなだけ眠れるし、ここを候補として考えたことはなかった。もっとも今の仕事場はたまに高浜さんがいるけれど。ここのベッドの寝心地が特別良いわけでもないし、これからも積極的に利用することはないだろう。授業に出ていようが結局寝てることには変わりない訳だし。慣れてきた胃にパンを放り込みながら、ぼんやりと考えた。
 シュージンと取り留めのない雑談をだらだらとしながら昼食を食べ終えた。シュージンが適当に棚の中や引き出しを漁って、茶葉と茶器を見つけて来たようだ。これで茶飲もうぜと、保健室のコンロを勝手に使ってお茶を入れてくれた。茶葉の数グラムくらい黙っていればわからないし、茶器も元通りに戻しておけば大丈夫だろう。僕たちはまるでこの保健室が自分たちの部屋であるかのように、好きなようにくつろいでいた。
 昼休みは学校中が騒がしく、廊下の向こうから人の声はするけれど、保健室には誰も入ってくる気配がない。「本日出張」と言う札が効力を発揮しているのだろうか。普段保健室には来ないから保険医の人がどんな人なのかはわからないけれど、先生がいるのといないのとでは違うのだろうか。
 お茶を飲み終えてのんびりしていると予鈴が鳴った。あと5分で午後の授業が始まる。にしてはシュージンはのんびりしていて移動する素振りもない。午後は出ないつもりなのだろうか。
「授業始まるぞ。戻らなくていいのか?」
「サイコーこそ」
 2人で無言になった。チラリとシュージンを見ると僕を見て含み笑いをしている。考えていることは同じらしい。結局僕は引き続き保健室で休んでいることになり、シュージンは午後から保健室で休むことになった。
 誰か来ても面倒なのでとりあえず茶葉と茶器を片付けて、ベッド周辺のカーテンを引いて体面だけはそれっぽく繕った。どこからどう見ても2名の生徒がベッドで休んでいるようにしか見えないはずだ。それにしても……
「俺さっき寝たから、今そんなに眠くないんだよな」
「飯食った後でも?」
「うん」
  睡眠欲がある程度満たされたのか、ベッドの上に寝転がっても眠くはならなかった。目を閉じていればそのうち眠れるだろうかと思っても、やはり眠れない。このままだと暇な時間をすごすことになりそうだ。早退して仕事場にでも行こうと考えて、今日は高浜さんが泊まっていることを思い出した。自分たちの仕事場なんだから出入りは自由だが、学校をサボって顔を合わせるのは何となく気まずい。それにまだ寝てるかも知れないと思うと尚更入りづらい。やはりここにいるか授業に出るしかなさそうだ。でも今更授業に出るのもかったるいし、面倒だと思ってしまう。このままあと2時間ちょっとの時間を、ここで過ごすしかないだろう。
「俺もあんまり眠くないんだけど……そっち行っていいか?」
 シュージンが突然そんな事を言い出した。こっちに来てどうするつもりなんだ。
「来てどうすんだよ。寝るんだろ」
「眠くないんだって。いいじゃん、一緒にいようぜ」
  俺の返事を待たずに、シュージンはさっとカーテンを開けて僕の方に来てしまった。カーテンが再び閉まる前に見えた隣のベッドはきれいに整えられていて、シュージンが僕のベッドに居着く気でいることをあらわしていた。へへ、と笑いながら手に持ったブレザーを掛け布団の上に放ると、シュージンはそのまま布団の中へ入って来てしまった。一緒にいると言っても、その辺の椅子にでも座って話でもするのかと思っていたので、この行動には心臓が跳ねた。
「な、何入って来てんだよ!」
「いや本物の病人のために1つ空けとこうかと思って」
「何も入って来ることないだろ」
「あ、狭い? 狭いなら出る」
  狭くないといえば嘘になるけど、狭いとかそう言う問題ではない。何で1つのベッドに2人で寝なきゃいけないのかと言う考えよりも先に、一緒に寝ていたら変な気分になりそうだと考てしまった自分も自分だ。誰もいないからと言って学校でこんな事……いや、まだ何もしてないけど……。僕が鼓動を乱しながらぐるぐる考えてる間に、シュージンが身を寄せて来た。何なんだろうこいつ、何も感じないのだろうか。僕がこんなに心臓をドクドクさせているのに、シュージンは緊張もしていないようだ。何だか悔しいので腰を引き寄せてみたら、シュージンの肩がぴくりと跳ねた。少しは意識したのだろうか。顔を覗き込んでみたらシュージンは嬉しそうにはにかんでいた。その顔がとても可愛くて、僕の心臓はさっきとは違う意味で跳ねてしまった。
「連載で忙しくて、あんまりこう言うさ……なかったじゃん。だから今すげー嬉しい」
 そう笑って唇の端に掠めるようなキスをされた。シュージンの言葉や表情から溢れ出るほどの好意を感じる。自意識過剰や自惚れではなく、シュージンは本当に僕のことが好きなのだ。それを確認するたびにたまらない気持ちになる。離れる前に僕からシュージンに軽く口付けた。引き寄せて首筋に唇を寄せ、色素の薄い髪を掻き分け耳たぶを食むと、くすぐったいのかシュージンからくぐもった笑い声が響く。
 どこかのクラスが校庭で体育の授業でもやっているのか、外からは賑やかな声が聞こえる。保健室は1階だ。その上ベッドは窓際にあって、窓は閉まっているもののカーテンは開いたままだ。その気になれば外から保健室を覗くこともできる。校庭から保健室までは距離があるし、実際に授業中の生徒が保健室を覗くことはないとは思うけど、太陽の光に照らされながらいつバレるかわからないような場所でシュージンとこんなことをしているのは、それなりにひやひやしてしまう。
  せめて少しでも隠れようと掛け布団を頭まですっぽりと被った。一気に暗闇に包まれる。それがスイッチとなってかシュージンが僕の首に腕を回して抱き付いてきた。さっきまでの遠慮がちな接触とは違う、熱を孕んだ抱擁だ。外の光をほとんど通さない暗闇の中、シュージンの姿だけがぼんやりと見える。髪に指を絡ませながら、また首筋に吸い付いた。そこを舌でなぞると引き攣ったような声が漏れた。こんな声を聞くのも久しぶりだ。シュージンも同じように、僕の首筋に顔を埋めて熱っぽく唇を這わせている。時折首から耳、そして顎にかけて唇を移動させてキスをねだるような仕草を見せる。それに気付かないフリをして耳たぶを食むと、焦れたようにシュージンが唇を僕のそれに押し付けて来た。
 合わせるだけのキスを何度かした後、粘膜と粘膜を擦り合わせながら舌を絡ませる。簡易で暗い柔らかな閉鎖空間に水音が響いた。唇が熱を持つほどにそれをずっと繰り返すうちに、お互いにお互いの足を絡ませていつの間にかぴったりとくっついていた。ちゅく、と舌を吸い上げるとぶるりとシュージンの肩が震える。角度を変えながら何度も何度もキスをした。漏れる甘い吐息に僕も身体の芯がじんわりと痺れていくのを感じた。本当にどれだけしていなかっただろう。
「ん、……っは、あ」
  シュージンの息継ぎの声が艶かしい。そう言う気分になっているのかも知れない。僕はそうじゃない、とは言い切れないけれど、でもやっぱりここでこれ以上することは抵抗があるし、何より保健室には誰もいないとは言っても、鍵もかかっていないのだから。
 密着しっぱなしだった唇を離して口の端をぺろりと舐めると、被っていた掛け布団ごと勢い良く起き上がった。そんなに時間が経っているわけでもないのに、久しぶりの太陽光がやけに眩しく思える。幸い外から覗いている人はいない。シュージンが寝転がったまま驚いたように僕を見ている。
「もう終わり」
 それだけ僕が言うと、シュージンは呆気に取られたようにぽかんと口を開けていた。キスによって赤く色付いた、そして潤った唇が無防備に開いているのを見ると、変な連想をしてしまいそうになる。その連想が頭の中で完全に形になる前に目を逸らした。
「え、えーっ!?」
「えーじゃないだろ……」
「足りねーよ!」
「場所考えろっつーの!」
  やっと言葉を発したと思ったら非難の声だった。子供が駄々をこねるように足りない、足りないと連呼するシュージンは少しウザいと思ったけど、くしゃくしゃと髪を乱すように頭を撫でてやったら大人しくなった。我ながらシュージンの扱いを心得ている。僕もそうだろうけど、布団に潜っていたせいもあってシュージンの髪はぼさぼさだ。その髪を軽く指で整えてからまた撫でてやる。むくりと起き上がったシュージンが僕の髪に手を伸ばし同じ事をした。お互い無言でシャツやネクタイを調えていると、ぼそりと一言「じゃあもう1回だけ」とシュージンが言ったので、軽くキスをした。シュージンが唇に吸い付いてちゅ、と音を立てる。
 唇を離すとシュージンがまたはにかんだ。小さくサンキュ、と呟いて少し寂しそうな顔で笑っている。本当は僕ももう少しこうしていたい。最後に触れたのはいつだっただろう、考えないと思い出せないほどに僕たちはずっと余裕がなかったのだ。何をする訳でもなく2人ベッドの上でしんみりしていると、授業の終了を告げるチャイムが鳴った。5限が終わったのだ。
「あと1限か……」
「どうする?」
  その言葉に含まれる選択肢は、授業に出るか、ここでさらに1限過ごすか、もしくはもう学校を出てのんびり仕事場に向かうかの3択だ。とは言っても、どうすると言いながらここを動かないことで答えは既に決まっている。明確な答えを出さないうちに、始業のチャイムが鳴った。結局引き続き保健室の世話になることになった。6限に体育があるクラスはないのか、先程とは違って外はしんと静まり返っている。微かに聞こえるのは声が大きい教師の声だけだ。
「なぁ、もうちっとできる、じゃん?」
 シュージンの期待に満ちた声と視線を感じる。もう6限ともなれば保健室を利用する生徒も限りなくゼロになるだろうか。気分が悪いのであれば帰してしまった方がいい気がするし、保険医もいないのだから自宅療養が一番良いと思う。
 それならばもう少し、さっきくらいのものだったらしていても良いかも知れない。僕は無言でシュージンを押し倒すと、掛け布団を頭からすっぽり被った。暗闇に包まれると同時にシュージンの体温が僕を包む。再び唇を寄せ合ってお互いを貪り合った。何度かキスをしている間にどうしても物足りなくなってしまい、シュージンの太腿から臀部にかけて意図を持って撫で上げた。すると意外なことにやんわりと手で制止をかけられてしまった。
「だめ、あんまりさわんないで」
「何だそれ、自分から誘ったくせに」
「そうだけど……でもそんな風にさわられると、我慢きかなくなるから」
 だからキスだけ、と唇を舐められた。確かにこの場所ではこの先は出来ない、と言うかする度胸はない。少しくらいはさわりたかったけど仕方ない。それで我慢がきかなくなると言うのなら止めた方がいいと思う。物足りなさを感じながらも、じゃれるような抱擁とキスを繰り返していると、シュージンが耳元で呟いた。
「次のネーム早めに終わらすから、今週の原稿上げたら、しような」
 そんな風に言われると、僕の我慢がきかなくなるから止めて欲しいと思った。


←戻る