どうしようもない

 些細なことで口喧嘩になった。

 どのくらい些細かと言うと、目玉焼きにかけるのは醤油かソースかもしくは塩か、納豆は白飯にかけて食べるかかけずに食べるか、足を組む時に上に乗せる足は左か右か等、レベル的にはその程度の些細な原因である。
 しかし一度腹を立てて言い合いを始めてしまうと、どちらも引っ込みがつかなくなってしまった。真城は、何でこんなにムカつかなくてはいけないんだと思っていたし、高木は早くも後悔し始めていたものの、真城の怒りを静めることに四苦八苦していた。さらに悪いことに、今2人が言い合いをしているこの場所は新妻の仕事場だった。元々何らかの用事がなければわざわざ吉祥寺まで来ないのだが、少なくともこの内輪揉めが訪問の理由ではないことは確かだ。
 新妻たちはいつもの部屋でいつものように仕事をしていて、真城と高木は廊下に出て言い合いをしている。大音量の音楽にかき消され、2人の声はほとんど聞こえない。しかしこの有様。新妻を始め福田、中井の面々は、遠巻きに2人を見ている。見ているしか出来ないのだった。
「亜城木先生……とってもヒートアップしてるみたいですケド、どうしましょう」
「止めた方がいいかな……」
「……このまま喧嘩別れになったらライバルが1人減るな。いや、増えるのか?」
  福田の言葉にげんなりしたものの、今下手に間に入っても火に油を注ぐだけだと判断した中井は、そのまま目の前の原稿に集中することに決めた。あとはゆっくり2人で話し合ってくれと、関わりたくないための丸投げと言う意味を込めて、とりあえずドアを閉めた。新妻もしばらく指をくわえていたものの、とりあえず放っておくことにした。福田は元から他人事である。

 労働に勤しんでいる部屋の外で、2人は息を乱しながらまだ言い合いをしていた。2人共もういい加減にこの口喧嘩を終わらせたいと頭では思っていたが、意に反して口は勝手に継続を叫ぶ。やがて真城の口からタブーが出た。
「もういい、もうおまえとは組まない!」
「!!」
  それを言い渡された高木の顔がサッと青ざめ、まるで世界の破滅を目の前にしたかのような顔をした。唇は震え、言葉も出ない。その高木の顔を見た途端、真城は自分の失言に初めて気付いた。売り言葉に買い言葉の応酬ではあったが、言っていいことと悪いことがある。真城はまさに地雷を踏んだのだった。
「ちょっと待てよ……う、嘘だろ……?」
  高木の眉は情けなく下がり、混乱のせいか声も震えている。真城が自らの発言を悔い始めたときには、高木の目にはじわりと涙が浮かんでいた。真城は発言を撤回する言葉を探し始めたが、結局何も言えないまま立ち竦んだ。一言「嘘だ」と言えばいいだけだと頭では判っていたが、まだ頭の冷え切っていない真城には、無駄なプライドが邪魔となっていた。
 真城が無言でいる間にも、高木はさっさと自分の非を認め何度も謝っていた。しかしその、とても意地の悪い言い方をするならば「変わり身の早さ」に、真城は苛立ちすら覚えてしまった。苛立ってはいたものの、哀願を請いながら一生懸命自分に縋るさま、そして目には今にも零れ落ちそうな涙を浮かべる高木を見て、真城は妙な興奮を覚え始める。
(な、何でこんなときに僕は……)
  高木から目が離せなかった。時間が経つにつれ、高木の表情が痛ましくなっていくのだ。自分のためにこんな顔をするのかと思うと、それだけで真城は興奮した。今の高木は、自分の一挙一動に敏感に反応するだろう。現に真城の一言でぐらぐらと揺さぶられている。それを実感すればするほど、言いようのない高揚感が生まれた。
 一方、こちらを見ているだけで何も言わない真城に、高木は焦っていた。
 結果的に一時的ではあったが、コンビを解消した時のような思いをするのはまっぴらだと思っていたので、とりあえず自分が折れれば解決すると少々楽観していたのだ。しかし真城からは一向に許しを得られない。高木は焦った。こんな原因すら思い出せないような些細なことで、コンビを解消するなど冗談ではない。何としてでも、いつも通りに戻らなくては。真城の頭に血が上っているのならば冷えるのを待てばいいが、今の真城はそうとも見えるし、見えもしない。つまりよくわからない。
 高木は少し落ち着いて、真城を見る。相変わらず真城はじっと高木を見ていた。その視線にどう言った意味があるのかまでは読み取れなかったが、少し興奮気味である事は理解できた。
  喧嘩のせいだろう、と高木は思ったが、ふとあることに気付いた。
 それに気付いた高木は顔が熱くなるのを感じたが、その原因がどこにあるのかまでは探りきれなかった。思い当たる節がないのだ。そしてその後、すぐに高木の頭に思い浮かんだのは兄だった。気まずさに少し躊躇したものの、コンビ解散を天秤にかけるならば、迷う暇はない。高木はすぐに行動に移した。
「あの……」
  真城は返事をせずに、高木をじっとりとした目で見ている。廊下で言い合いをしている2人は立ったままだったが、高木が真城の側に歩み寄ると、そのまま両膝を付いた。
「サイコー、あの…………先に謝るな? 悪いっ」
「は!?」
  突如、高木が真城のジーンズのベルトに手を掛けた。一気にそれを緩めてしまうと、今度は素早くボタンを外しジッパーを下ろしたのだ。下着を押し上げていることから、真城のそれが控えめながらも主張していることがわかった。それを直接目の当たりにした高木は、少し躊躇する。
 驚いて固まったのは真城だ。さっきまで言い合いをしていたのに、何故こうなるのかがわからない。そして、いつの間に自分の下腹部がこんなになっていたのかも。どう言うことなのか理解が及ばないうちに、高木の行動は進んでいく。そろそろと下着を下にずらすと、半勃ちになった真城の性器が顔を覗かせた。壊れ物を扱うようにそっと手を添え、緊張に何度か唾を飲み込むと、意を決したように高木はそれを口に含んだ。
「なっ……! 何して……」
  真城が後ずさりをしたせいで一時的に高木の口から離れたものの、高木がそれを追ってまた口に含む。それを何度か繰り返すうちに、真城の背には壁しかなくなってしまった。逃げ場を失った真城は、呆然と高木を見る。そもそもどうしてこんな事になっているのか、まずそこからして理解が出来ない。自らの一挙一動にうろたえる高木を見て妙な高揚感を覚えたものの、それが原因で勃起してしまったのか、だからと言って高木がこうする理由がない。真城は混乱していた。
 混乱している間にも、高木の口はぎこちなくも真城の性器を愛撫している。真城のそれは特筆するほどの大きさを持っている訳ではなく、年相応のごく一般的なサイズだったが、当然こんなものを口に咥える習慣などない高木には、難儀なことには変わりない。
「……っん、んぐ」
  唇で全体を扱くように愛撫するも、すぐに息苦しさを感じて口を離してしまう。これではいけないと高木は自分を叱咤しながら、何度かそれを繰り返す。咥えることをやめ、舌を柔らかく竿に絡ませ先端を少し含んで吸うと、真城の口からくぐもった声が聞こえた。真城の性器は明らかに質量を増している。チラリと高木が真城の顔を見ると、真城は赤面しながらも流されないよう必死に耐えていた。その表情は葛藤と情欲が入り混じっている。いかな場面においても真城に喜んでもらえることが嬉しい高木は、真城のその顔を見て嬉しくなった。またぱくりと性器を咥える。大きめに開けた口で咥え込み、歯を立てないようにゆるゆると唇で扱いた。性器からは少しずつ先走りが滲み、唾液と交じり合い卑猥な音を立てている。
 時間にして僅かではあるが、口の中の性器の反応と、真城の反応、そして自分の経験などを照らし合わせ、どのようにすればいいかと言うことを高木は頭の中で分析していた。
 高木は基本的に飲み込みが良く、早い。3を教えれば10を理解する、そしてそれらをきっちり頭の中にしまい込み記憶する。応用もきくので、適切な場面で学んだ成果を発揮する。今までは勉強や創作に役立てていた。今はそれをこの口淫に役立てているようだ。人としてそれが間違っているのかどうなのかは、わからない。
 ぎこちない愛撫だが、徐々に追い詰められているのは真城だ。理由を探すことは放棄した。と言うよりも、考えられなくなってきたと言う方が正しい。自らの性器を高木の暖かい口内に包まれ、真城は気が気ではなかった。技能的にはお世辞にも上手いとは言えなかったが、不慣れな真城には十分な刺激である。
  感触よりは、高木が咥えていると言う視覚的な刺激が一番強かった。高木とは何度かセックスをしたこともあったが、こう言うことは初めてだ。真城も高木の性器を咥えたことはない。せいぜい、お互いの性器を扱き合うくらいのものだ。知識としては知っているが、行動に移そうとは考えもしなかった。
 にも関わらず、この現状――。すぐ下では、己の性器を舌で愛撫する高木が、時折真城の顔を見上げる。黒縁越しの潤んだ目が、また興奮を煽った。
「……っのやろ」
  性器がまた口に含まれるのを見ると、真城が高木の頭に手を置いた。否、掴んだと言った方が正しい荒々しさだ。高木は突然のことに驚き、動作をやめてしまった。掴んだ手を、頭の形に沿うように滑らせる。髪に指を絡ませると、高木の頭を引き寄せた。
「やめんなよ」
  真城のその言葉にびくりと身体を揺らしたが、すぐに愛撫を再開した。高木の顔は動揺に包まれ、言い合いをしていたときの縋るような顔に戻ってしまっていた。その表情を見て、真城はまた興奮する。口の中のものがぐんと大きくなり、高木が苦しそうに呻く。潤んだ目には大粒の涙が浮かび、今にも零れそうだ。苦しいことはその表情からもわかる。それでも真城は頭を掴んだまま離さない。さらに無意識か、腰をゆっくりと揺らし始めた。その動きはさながら擬似的なセックスのようだ。
「……! っ、ん、う」
  その動きを苦しく感じてか、高木の目から涙がポロポロとこぼれてしまう。真城の興奮は留まることを知らない。高木が苦しめば苦しむほど、興奮は大きくなるようだった。
  高木の苦しそうな声と、口淫による水音、そして真城の荒い息が奇妙な空間を作り出していた。しかし、やがて真城の限界が訪れる。身に覚えのある射精感に身体を震わせながら、真城は今自分達がどこにいるのかを今更ながら思い出した。
(やべ……エイジ)
  どうするか……と視線を下に落とすと、高木が真城の考えを察したかのように、性器から一旦口を離し、言った。
「……飲む、から」
(マジかよ!?)
  一言だけ言うと、高木は再び性器を口に含んだ。そんなことをさせて良いものかと葛藤するも、与えられる刺激には耐えられない。真城は半ばヤケクソのように、高木の頭を掴み直した。
「こぼすっ……なよ!」
  言うと同時に、高木の唇が先端を甘く吸う。真城は耐え切れず、迸る精液を高木の口の中へ注ぎ込んだ。
「く! ……っ」
「……っ! っ……」
  高木の喉が上下している。本当に飲んでいるのだ、と真城が認識する頃には射精は全て終わっていた。口から性器を引き抜くと、高木が苦しげに咳き込んでしまった。
「だ、大丈夫か……?」
「ん……」
「わり……」
  射精したことによって様々な意味で頭が冷えた真城は、ここでやっと高木を気遣う言葉をかけることが出来た。高木は控えめな咳を2・3度し、真城に笑いかける。高木は本当に全部飲み込んだらしく、口元から少し精液が垂れてそれが真城の鼓動を乱したものの、床には1滴も零れていない。
 真城はジーンズをはき直し、ポケットを探ってハンカチを取り出すと、少し迷ってから高木の涙、口元、自分の性器の順で水分を拭った。服を整えて見た目だけは元通りにする。
「サイコー、落ち着いたか?」
「それはこっちの……! て言うか、何でこんなことしたんだよ」
「だって怒ってて頭冷えそうにねーから……何か知んねーけど勃ってたし、抜いたら落ち着くかなって……」
  泣いた赤い目で支離滅裂なことを言う高木に、真城は混乱した。
「何でそう言う考えになるんだよ……」
「兄貴が持ってたDVDにそう言うのがあって、それ思い出したらこれしかねーって思って、それで」
「エロDVDかよ……見たのかよ……」
「そりゃ見るよ」
  さらりと言うと、膝を付いていた高木が立ち上がる。少し口をもごもごとさせ苦い顔をしていたが、2・3度目を擦って眼鏡を掛け直した。
「シュージン、く、口、初めてだよな」
「あ、当たり前だろ」
  なのに飲めたのか。そこまで思われているのか、単に抵抗がないのか、真城にはわからなかったが、思い返してみても自分がやった事はあまりにひどい。しばらく高木には優しくしようと思った。
「……帰っか。こんなことした手前、居辛いしな」
「おー……」
  真城は、高木にそのままそこにいるように伝え、エイジ達が仕事をしている部屋へと足を向けた。ドアの向こうからはオーディオが鳴り響いていて、一応ノックはしたものの聞こえているのかどうかわからない。構わずドアを開けた。
「あの、すみませんが僕たち帰ります」
「えっ! あ、そう、うん、えーと、気を付けてっ!」
  最初に気付いて、さらに異常な反応をしたのは福田だった。まさか見られたのか、と冷汗をかいたが、福田はそれきり目の前の原稿に集中し始めてしまい、表情が見えなくなってしまった。しばらく様子を窺うも、福田はその姿勢を一切崩さなかったのでそれ以上探りようがない。
 気のせいだと無理やり自分を納得させ、中井、新妻に高木の分も挨拶をして、そのまま新妻のマンションを後にした。

「……はー……やれやれ」
「どうしたですか、福田先生? さっき2人の様子見てみるって言ってドア開け」
「あー何でもない! 何でもありません!」
  我関せずを貫くつもりがやはり気になってしまい、様子を見るためにドアを開けてしまったのが悪かった。福田は、高木が口でしているところを見てしまったのだ。しかも、真城が高木の頭を掴みながら腰を揺らしているところを。さぞかし暴力的に見えたことだろう。すぐにドアを閉め、様子を聞いてきた中井と新妻を誤魔化したものの、見てしまったものは見てしまった。そう簡単に記憶は消せない。
(嫌なもん見ちまった……)
  紛う事なき貧乏くじである。仏心なんぞ出さなければ良かったと後悔した。
(……それにしてもあの2人、デキてるとか以前にアレだな、普段のイニシアティブは真城くんなのか……まぁ本人同士が良いなら……。あーそれにしても、あーくそっ!)
  福田はその後悶々としながらアシスタントを終え、そのまま早朝のコンビニバイトのために寝に帰った。その出来事がフラッシュバックしてしまうため、しばらくエロ本やDVDの類は見られなかったと言う。
 一方真城は、罪悪感からか口直しに飲み物を奢るなど、帰る最中もずっと高木に優しく接していた。高木が「でもサイコー、ちょっとイキイキしてた」と失言するまでは。




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すんませんっした。



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