一緒に眠ろう

 ペンを動かす音と、テレビの騒がしい笑い声が部屋に響いている。秒針が絶え間なく動き、短針が時計の10の数字を少し上回った。夜の深まりがそろそろ始まる時間だ。
 一人掛けソファには、シュージンの邪魔をしないように見吉が煎餅を食べながらテレビを見ている。こんな時間に食うと太るんじゃないのかと思ったが、殴られたくないし何か言い返されても面倒なので黙っていた。
 2週に1本の原稿提出期間はまだ続いている。気の抜けない毎日が続いていた。僕は原稿にペンを入れていたが、シュージンは次のネームを集中して書いている。
 それにしても眠い。必死に眠気を制御する。制御しようとしても、眠くなるもんは眠くなるんだけど。しかしそこは何とか、何とか何とかするのが男だ。明日は服部さんの所に持って行かないといけない。
 煎餅の袋がくしゃくしゃと丸められる音がした。見吉が煎餅の袋を空けたようだ。そう言えば見吉は帰らなくて良いのか? もう10時を過ぎてるし、女子だからあんまり遅くなっても危ないんじゃないか?
「見吉、そろそろ帰ったら。10時過ぎてんぞ」
「え?」
  見吉が時計を見ると、あからさまにヤバイと言う顔をした。
「ごめん、あたし帰るね! 最近親うるさくて……」
「おー」
「高木! あたし帰るね!」
「…………あ? あ、あぁ、もうそんな時間か」
  1テンポ遅れてシュージンが反応した。ものすごく集中していたんだろう。何せ2時間くらいシュージンは見吉と話をしていない。見吉もそれをわかってか、行儀よくしていたし。
  テレビどうする? 消す? と言われたので、面倒だしそのままで良いと伝える。見吉は夜中にしては騒がしく「頑張ってねー!」と言って帰っていった。夜道を一人で帰らせて大丈夫だっただろうか。でもあの腕なら、変なやつが出ても余裕で撃退出来そうだけど。

 僕のペン入れは今やっているページの1コマを終わらせれば、丸々1枚分で終わりだ。終わりが見えて来るとテンションも上がる。もうすぐだ。
「シュージン、ネームどう?」
「こっちはもうすぐ……サイコーは?」
「もう少しで1枚終わるから、インク乾いたら消しゴム頼む。あと1枚で終わり……」
「そうか、頑張れ」
  僕もシュージンも酷い寝不足で、目の下には慢性的なクマが出来ている。シュージンより僕の方が作業量は多いので、多分シュージンの方が寝ている量としては多いんだろうけど、一般的に見たらシュージンも寝てない。
 あぁ……眠いけどあと1枚だ。仕上げをしなくて良いって言うのは助かる。そこまでしてたら間に合わない。
 机の上に置いておいた原稿を、シュージンが取りに来る気配がした。ネームが終わったのか。今日は昼間学校で思いっきり寝てたから、その分調子が良かったんだろうな。僕も寝てたけど。
 シュージンが消しゴムをかけているようだ。テレビが付いてなければ、多分微かに音も聞こえたんだろう。テレビの音、やっぱり消してもらえば良かったかなと思った。
 見吉がいても良いけど、シュージンと二人の時は落ち着く。仕事場に僕が先に着くと、まだかな、まだ来ないかな、とそわそわしてしまう。以前はこんなことはなかった。僕の作業が多い時は、何もする事がなくてもシュージンは付き合ってくれるのが嬉しい。例え目の前でテレビを見てようが、何か食べてようが、寝てようが、それはそれで良いのだ。
 主人公の服の皺にチマチマとペンを入れる。これが終われば今回の分は終わりだ。手持ち無沙汰になったのか、シュージンは原稿を見直している。たまに鉛筆の消し忘れを見つけては消しているようだ。
 あと少し、あと数本線を入れるだけ。あと少し、少し、少し……終わった!
「終わったー!」
「お疲れー!」
  僕はペンを勢い良く机に置いて、大きくため息を吐いた。この達成感は何度迎えても気持ち良い。シュージンは全てのチェックを終わったようで、それまでの原稿はきれいに揃えて置いてあった。僕は今ペンを入れたばかりの原稿を、ひらひらと扇いでインクを乾かす。早く乾いてくれ。この原稿の消しゴムをかければ終わりだ。
「サイコー、手洗って来いよ。インク乾いたら俺消しゴムかけとくからさ」
「じゃあ頼む」
  手はすっかりインクまみれだ。僕はシュージンに言われたとおり、手を洗いにキッチンに入った。ぼーっと手を洗っていたが、緊張が解けたのか眠気が一気に襲ってきた。今何時だ……今から帰って家で寝て…………それから起きたら学校行って……編集部に……………………………………………………やべ、今寝てた。手洗いながら寝てた。少し慌てて手を拭いて、仕事場に戻った。
 仕事場に戻ると、消しゴムかけは終わったのか原稿がきれいに揃えられていた。シュージンが大きな欠伸をしていたが、僕を見ると疲れたようにへらっと笑ってお疲れ、と言った。
「今何時……」
「もうすぐ3時……家に連絡してなかったけど、良かったのか?」
「あぁうん……まぁわかってんじゃね」
  僕は力なく笑ってソファに座った。欠伸が出る。すぐにでも眠ってしまいそうだ。シュージンも同じような状態なのか、少しうとうとしていた。
「家帰んのめんどくさい……」
「俺も自転車乗りながら寝そう……」
「……泊まるか」
「俺も泊めて」
「朝まで帰さねーけどいい?」
「真城くんステキ」
  僕たちは軽く吹き出すと、すぐに寝る準備をした。知らない間に寝て溺死しそう、と言う理由から風呂は起きてから入ることにした。テレビを消す。毛布を引っ張り出してきて、床に放った。携帯のアラームで起きる時間を適当に設定する。最悪編集部に行く時間に間に合えばいい。
 僕が電気を消すと、部屋の中はすっかり暗くなった。カーテンの隙間から、月の明かりが少し漏れる程度だ。シュージンは先に毛布にくるまっていた。僕も毛布にくるまると、シュージンと並ぶように寝転がった。シュージンはめがねを外していたが、まだ寝てはいないようだ。
「何かさみー……」
「寝ねーと体温下がるよな……」
  僕とシュージンはいつの間にか身を寄せ合っていた。間にある毛布が邪魔だと感じたけど、寒いだろうと思ってそのままにする。毛布越しでは、あまりシュージンの温度を感じられない。少し寂しいと思っていたら、シュージンが一度上半身を起こして、自分の毛布を僕にも掛けた。2人で1枚の毛布を共有している状態だ。僕は少し嬉しくなって、自分の毛布もごそごそとシュージンにかけた。シュージンは少し照れたように笑っていて、僕もつられて笑った。
 眠気がまた襲ってきて、僕もシュージンも徐々に瞼が落ち始めた。暖かい体温を求めてかどうかわからないけど、僕たちはお互いを求めるようにくっついて寝た。
 シュージンのにおいは落ち着く。
 僕はシュージンの首元に顔を埋めると、意識をそのまま遠くに投げた。

 ガンガンガン、と玄関先で大きな音がして、目が覚めた。僕はシュージンにしっかり抱きつきながら寝ていたようで、抱きつかれた方は少し窮屈そうだったが、シュージンも僕に抱きついて寝てたのでおあいこだ。
 玄関の外から見吉の声がした。携帯を開くと、既にアラームが鳴り終わっていた。時間はもうすぐ2時になる……午後の。と言うことは、見吉は学校が終わってからまっすぐ来たんだろうか。結果的に見吉が目覚ましになったな……。とりあえず起きよう。起きて風呂に入って、それから編集部に行かないと。
 僕は寝たまま伸びをして、大きく欠伸をした。シュージンはまだ僕に抱きつきながら寝ている。気持ち良さそうだ。多分僕が上半身を起こせば起きるだろうけど、もう少しだけこのままでいたいと思った。僕はそのまま再びシュージンの首元に顔を寄せ、唇で少しその皮膚を撫でた。あと5分、このままで。
 そしてシュージンの携帯がけたたましく鳴り響き、その電話口から見吉のでかい声が響くまで、僕は寝たふりを続けたのだった。



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