ご機嫌とり

 サイコーの機嫌が悪い。
 怒っているときは単純に黙り込んだり、とにかく機嫌悪いですオーラが出ているのでその態度ですぐわかるが、怒っていることがわかるからと言って良いわけじゃない。困ったなぁ……そもそも何で怒ってるのかわからない。だから、俺はどうしていいかわからない。
 学校が終わった俺達は帰宅、もしくは仕事場に向かうべく歩道橋を渡っている。もしくは、と言うのは、サイコーが口を開いてくれないので、行くか行かないかわからないからだ。合鍵は持っているから自分の好きな時に行けるが、サイコーがいるなら俺は一緒に行きたい。
  サイコーは大股でずんずん進んでいく。背の関係で歩幅は俺の方が広いので、追いつくことには苦労しない。でもあまりにピリピリした態度なので、どうしてもサイコーの態度をうかがうように後ろを歩いてしまう。まさに『三歩下がって師の影を踏まず』だ。……師じゃないけど。
 何度か声をかけようと思ったが、情けないことに一瞥されただけで気圧されしてしまった。サイコーはあれで結構眼力があるんです……。
  それでもやっぱりこんなピリピリした状態は嫌なので、何度か声をかけた。その度にシカトはされないが、振り返りもせず、気のない返事ばかり返ってくる。いつもは頻繁にサイコーの肩やらを気軽に叩いている俺の手も、すっかり萎縮している。
 以前、同じようにサイコーの機嫌の悪い時に、いつものように軽く肩をポンと叩いたら「さわんなよ」と手を振り払われたことがあった。何でもないように装ったが、実は結構ショックだった。それ以来、サイコーの機嫌の悪い時はさわらないようにしている。
でも……
  こっち向いてくんねーかなぁ……さびしいなぁ……。
  肩を掴んで強引にこちらを振り向かせれば、そりゃこっち向いてくれるだろうけど、また振り払われたりしたらそれこそ凹む。それにサイコーが嫌なことはしたくないし、でもこっち向いてもらいたい。でもやっぱり……もうループ状態だ。どうしよう、ちょっと泣きそうになってきた。
 歩道橋を渡りきって階段を下りると、歩道に面した本屋の窓に俺とサイコーの姿が映った。サイコーは相変わらずムスッとしている。俺は背を曲げて、見るからに凹んでいますと言う体裁だ。うう、カッコ悪……。
  もう今日は一言サイコーに声かけて仕事場に行こう……と俺が思い始めた頃、「おい」と言う声と一緒にサイコーがこっちを振り向いた。
「! あ、……」
  上手く声が出ない。編集部では服部さん相手にしっかり喋って作品のアピールはできるのに、今は何も言葉が出てこない。振り向いてくれて嬉しいのに。俺がまごついていると、サイコーはさらにムッとしたように俺の手首を掴んで引っ張った。
「え、え、」
「何うしろ歩いてんだよ。いつもみてーに隣歩けばいいだろ」
「あ、ごめん」
  俺の手首を掴んだ手はすぐに離れた。その力が強かったので少し痛かったけど、サイコーがこっちを向いてくれたので、全然気にならないどころか俺は嬉しかった。
「……何笑ってんだよ」
「え、笑ってる?」
  いや、笑ってるだろうなぁ……自分でも顔が緩くなってるのがわかるくらいだ。多分今ものすごく締まりのない顔してる。すぐに戻るかな。
「サ、サイコーがこっち向いてくれたからじゃね」
「何言ってんのおまえ」
「だって怒ってたし……」
「…………」
  あ、失敗したかも。また黙られてしまった。俺は焦って話題を変えようと考えをめぐらせたが、いつも快適に回る頭はこう言うときに回ってくれない。
「シュージン」
「は、はい」
「おまえ隣のクラスのさぁ……」
「? 隣? なに?」
「…………」
  隣のクラス? 何かあったっけ? 特に思いつくことがないので、記憶を探っても何も出てこない。話す程度の奴は何人かいるけど、何だろう、何かあったっけか。俺が首をひねっていると、サイコーがじっと俺を見ている気配がした。う、これは何か思い出さないとダメな雰囲気か。でも出ねーもんは出ねー。
「やっぱ何でもねー」
  突然サイコーが俺の腰に手を回して抱き寄せてきた。俺は驚いて足をもつれさせたが、何とかバランスを取り戻した。な、なに、どうしたんだ。サイコーの顔を窺い見たけど、さっきまでの不機嫌顔が嘘のようになくなっている。
 サイコーの機嫌はいつの間にか直っていた。直ったと言い切っていいのかはわからないが、機嫌悪いですオーラもすっかりなくなっている。俺は少し困惑したが、サイコーがいいならいいか、と思い直した。そう思うと俺の顔の筋肉はみるみるうちに緩くなっていく。嬉しい。嬉しい。サイコーの機嫌が直って嬉しい。
「シュージン、仕事場行くだろ」
「もちろん」
「俺その前にコンビニ寄るけど」
「あ、俺も。まだジャンプ買ってない」
  俺は恐る恐るサイコーの肩に手を置いた。振り払われなかったのが嬉しかった。多分はたから見たら酔っ払いのオッサンみたいな2人なんだろうなとは思うけど(何せくっつきながらヨロヨロ歩いているもんだから)嬉しかったので気にしないことにした。
「シュージン、へらへらしてんなぁ」
  そう言ったサイコーの顔も、いつもよりへらへらしている。俺は嬉しかったので、サイコーに更にくっついたが、それを見た買い物帰りのおばさんが「まぁかわいらしい」と微笑ましそうな顔で俺たちを見ていた。



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