愉快な夢

 「仮眠してくる、2時間後に起こして」と言うシュージンに、携帯のアラームでも何でも設定して自分で起きろよ……と思ったが口にしなかったことは覚えている。僕も返答が面倒だったのだ。何しろ僕もシュージンも疲れている。今ある原稿を仕上げるために、睡眠時間を極力削っているのだ。シュージンの手を借りる段階まで進んだとは言え、まだまだやることは多い。僕はまだペン入れも済んでいない原稿を目の前に、ユンケルを一気飲みした。

  どのくらい時間がたったのか、集中していると時間の感覚がなくなる。遠くで携帯のアラームが鳴っている。シュージンの携帯だ。何だ、自分で設定してたんじゃん……。じゃあ僕が出て行く必要はないだろう。あとは勝手に起きてくる。そう判断したが、5分たっても10分たってもシュージンが起きてくる気配はなかった。どう考えても寝てる。
 自分で起きられる自信がなかったから僕に頼んだってことかよ! くそー保険扱いしやがって……
 ちょうど今やっているページのペン入れが終わったので、僕はペン先のインクをティッシュで拭うと、シュージンを起こしに行くことにした。仕方ない、やつも戦力だ。
  3DKの壁をぶち抜いて1DKにしたおじさんのおかげで、ここには寝室と言うものがない。だいたいにして適当な場所や、ソファで寝る事になる。一応申し訳程度の毛布はあるけれど。
  シュージンは、膨大な数の漫画が収納されている本棚の隙間に、毛布にくるまって寝ていた。当然眼鏡は外して寝ている。そう言うクセなのか、身体を丸めて寝ていた。しかしその寝顔があまりにも幸せそうだったので、僕は無性に腹が立った。精神的に不安定な時に見る、人の幸せそうな寝顔ほどムカつくものはないと思う。そこで腹が立たないやつがいたら、そいつは聖人かなにかだ。
 くっそ……ホントに幸せそうな顔で寝てるよ……このやろうムカつくな……。僕はシュージンを起こすべく、その幸せそうな顔をべちべちと強めに叩いた。
「おい、シュージン! 2時間たった! 起きろ!」
  シュージンは言葉にならない寝言をもごもごと呟いた。夢でも見てんのかこのやろう。僕は、さらに耳元で大声で呼んだ。
「シュージーン!! おーきーろー!!」
  大声の甲斐もなく、シュージンの眠りは覚めない。と思ったら、ゆるくへらりと笑って僕の首に腕を回してきた。思わず倒れそうになって、床に手を付いてしまった。まるで僕がシュージンに圧し掛かっているような形だ。
「サイコぉーやったぁー……連載だぁー……巻頭ぉカラぁ…………よんじゅぅ……」
 シュージンさんはとても愉快な夢を見てらっしゃるようですね! こいつ……。連載は欲しいが今はそれどころじゃねーっての!
回された腕のせいで首と顔が異常に熱いが、本当にそれどころじゃない。今は原稿だ。とにかくシュージンを起こさないことには……
「俺すげー嬉しいよぉー……やっぱサイコーといっしょ…………組ん……よかっ……」
  涙声になり始めた。普段からよく笑いよく泣くシュージンだから、こう言うときに泣いても全然不思議じゃない。不思議じゃないけどな! それとこれとはな! 違うの!
 とにかくまず僕の身動きが取れないので、首に回された腕を外そうともがいた。するとシュージンがヤダヤダと頭を振る。ヤダじゃねー!
「サイコぉー……やっぱ俺が惚れただけ……ある……好きだー……絵も……おまえも」
  僕は思わず固まってしまった。いつも言われている言葉だが、その声があまりにも熱っぽかったからだ。僕は身体を動かそうとしたが、間接がギシリと音を立てて稼動を拒否した……気がした。顔が熱い。
「これから……も……一緒に頑張ろ……なぁー……」
  シュージンの腕に、さらに僕は引き寄せられた。顔が近い。身体を支えている腕がぶるぶるしてきた。ただでさえ描きっぱなしで腕が疲労してるのに、何て仕打ちだ。それでも僕は固まったままだった。混じりけのないシュージンのにおいが、ダイレクトに伝わる。お互いの呼吸も近い。僕の心臓がドクドク鳴り始めた。
 シュージンの寝言はその後何も聞こえず、口の中でもごもごしていた。本格的に寝たか。いや、寝かせちゃいけないんだけど。ここで甘やかしてたまるか! 僕が回された腕を何とか外そうと四苦八苦していると、シュージンの吐息が耳に触れた。寝息じゃない。寝息は、こんなに熱くない。
 僕は息を飲んでしまった。シュージンが言葉にならない声を出した。ん、とか、うん、とか、普通なら気にも留めない言葉だ。でも今の僕にはとてつもない拘束だった。
「好きぃ…………」
  吐息と一緒に吐き出された言葉が、するりと僕の耳に入った。ちょ、やめろよ! マジで! ちょ、ちょっと、このっ……違、落ち着け、何も僕に言った訳じゃないかも知れないだろ! 今シュージンが何の夢を見ているかなんて僕にはわからない。僕じゃない、絶対僕じゃない、そう思わないとこの状態からの脱出は不可能だ! しかし非情にも追い討ちが来た。
「好きぃサイコぉー……」
  あーーーーーーーーっも、あーーーーーーーーーー!!
 何でそう言うこと言うかな! どうせなら起きてる時に言えよ、そしたら僕だってそれなりに流したり出来たんだよ! こう言う状態だからこそ自分に誤魔化しがきかない。正面から受け止めてしまうのに。
 僕は自分の中から込み上げる何かを、必死に抑える。胸の奥から、喉の奥から、とにかく出すべきではない言葉とか、そう言うものだった。でも、 無理だ。
  今から思ってても絶対に言わなかったことを言うぞ。心の中で思っても、絶対に言葉にしなかった言葉だ。
「おまえ可愛いんだよバカ! すっげームカつくよ! 可愛いんだよ! マジでムカつく!」
 精神的な嘔吐だ、これは。
 僕はシュージンを一気に引き剥がすと、思いっきり奴の頭を殴ってやった。

「……何かすっげーいい夢見てた気がするんだけど……覚えてない……」
「ふーん」
  思いっきり殴ったら、「いでっ!」と言う叫びと共にシュージンは飛び起きた。最初からこうすれば良かった。……と素直に思わない自分が憎い。
  寝起きで混乱していたシュージンが涙目で酷いというので、起きないお前が悪いと言い捨てて僕は原稿に戻った。シュージンはちゃんと起きてきたけど、ベタを塗りながら夢がどうのこうのとぶつくさ言っている。
「シュージン」
「なに?」
「愛してっぞ」
「は!? な、何言ってんだよ気持ち悪いな……」
  気持ち悪いといいつつも、シュージンの頬はうっすらと赤くなっていた。せめてそこで笑い飛ばしてくれれば良かったのに、僕はある種の覚悟をするべきなのかと悩んだ。あーあ。
 あーあ!



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