それはダメ

 サイコーに見せる原案は数ある中の一部だ。自分で没にした原案は、俺の部屋に所狭しと積んである。没にしたとは言え取っておけば何かの時に役に立つかもしれないし、サイコーのおじさんも没ネームはきっちり保存していた。プロのやってた事は見習うべき! と言うのが俺の持論だ。
  そんな訳で今サイコーは、仕事場で俺の没原案を見ている。没原案が見たいって言われた時は何事かと思ったが、単に好奇心で見てみたいらしかったので簡単に見繕って持ってきた。それでもどうしようもないやつは持って来なかったけど。サイコーでも見せたくないものってのは、俺にだってある。
 サイコーは椅子をギィギィ鳴らしながら没原案を見ていた。面白いんだろうか。いや、面白いわけない。没案なんだから。
「シュージン、これさー……」
  お、サイコーの何かに引っ掛かったか。あの原案は確か……
「シュージンにしてはすごい青春っぽい感じだよね。この恋愛モノ」
「あっ!」
  しまった、見せたくないものを持ってきてしまった。何となく話のバリエーションを増やそうと思って、恋愛モノ(しかも恥ずかしい感じのやつ)も書いてみたんだった。書いたは良かったが途中でだらけてきて適当にまとめて放っておいたんだった。
 サイコーに読まれた! やばい、恥ずかしい……
「いや、それはえーと、」
「恋愛モノかー……。少年漫画もヒロインはいるし、考えないよりは良いかも」
  俺がテンパってる間に、サイコーが紙にガリガリ何かを描き始めた。しばらく描き続けていたようだったが、何かを思い立って仕事場を出て行った。と思ったら、サイコーのおじさん所蔵のヒーローフィギュアを2つ手に持ってきて、箱を開け始めた。
「何してんだ?」
「んー……」
  サイコーはフィギュアを箱から取り出すと、フィギュア同士をくっつけて観察し始めた。観察が終わると紙に描き、また観察する。それを何度か続けると、ため息を吐いて言った。
「それっぽくは描けるんだけど、キスが上手く描けない」
「え……」
  あの原案にキスする場面なんてなかった気がするんだけど……。
  だからってヒーローフィギュア同士をキスさせてそれを観察って言うのもどうかと思うんだけど……。
  せめて他の漫画を見るとか……いや、もう何も言うまい。
「シュージン、キスした事ある?」
「いや、まだ。サイコーは……あ、」
  ないはずだ。だってサイコーは亜豆のために何もかも取っておいてるんだから。俺の言葉のせいかわからないけど、サイコーの機嫌は下り坂になっているようだった。ムスッとした顔でフィギュアを弄っている。
 機嫌の悪そうな顔でこっち来い、とサイコーが言うもんだから、俺は何を言われるのか少しビクビクしながらサイコーの隣に立った。机の上には少年と少女が抱き合ったり、顔を寄せ合ったりしているラフ絵があった。上手く描けないと言うキスの絵も。何だ、上手いじゃんか……でも本人が納得してないんだから、そう言わない方が良いんだろうなぁ。
「経験できるものは経験しとけって言うのが、俺の考えね」
「ん? うん」
「シュージン、俺の絵好きだよな」
「うん」
「じゃあ俺の絵のために唇貸して」
「うん。…………うん?」
「サンキュー、シュージン」
「いやいやいやいやいや!!」
  いきなりサイコーの顔が迫ってきた。そう言う意味かよ!
「おかしいだろそれ!」
「何事も経験だし。つーか、男同士なんて数の内には入らねーよ」
  言ってることがおかしい。俺の知ってるサイコーは男だろうが何だろうが守るもんは守るぞ。そんなに上手く描けないのが悔しいかったんだろうか。でも俺とキスして気が済むんならそれで……いやいやいや、そう言う話じゃないだろ。俺はともかくサイコーだ。サイコーの最初の相手は亜豆であるべきだ。亜豆であるべきなんだ。
 ぐるぐる考えてる間に、俺とサイコーの唇はあと数ミリの距離しかなくなっていた。いよいよヤバイ。俺は咄嗟にサイコーの唇に指を押し当てた。
「…………」
「そ、そんな顔すんなよ。だからその……」
「…………」
「ヤダとかじゃないんだけど……その、サイコーの最初の相手は亜豆であるべきだと思うんだよ。だから俺なんかとしちゃダメだ」
「ヤじゃないんだ」
「そこは聞き流して欲しい……」
  サイコーは少しそのままの姿勢で俺を見ていたが、すぐに身体を離した。離れ際に指を舐められた気がする。多分気のせいだ。絶対気のせいに決まってる。とにかく思いとどまってくれて良かった。
「今度ドラマのそれっぽい場面とか、あったら探してみるよ」
「おー」
  さっきまでの出来事がなかったかのように、サイコーはまた何かガリガリ描き始めている。俺は思いつく限りの、キスシーンのある恋愛ドラマのタイトルを羅列して携帯にメモした。

指を舐められたのが気のせいなんだから、心臓がさっきからドクドク言ってるのも気のせいだ。顔が熱いのも気のせいだ。気のせいに決まってるんだ。



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